天槍アネクドート
シングル・ピース(10)
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「エリーがこの村に落ち着いてくれてもいいんだ。村のみんなは君の顔をよく知ってるしね。キルルのことも君になら任せられる。口説く時間はいくらでもあるんだから、君が導師職を継いで彼女と一緒になってくれれば、その後のことも心配いらない」
「ばか、なんで言うんだよ!!」
「げ、そうなのか? 悪趣味な……」
「お前、アヒムにすすめておきながらなんで主張が変わるんだ!?」
「キルルに言うこときかせられるのはアヒムだけだろ」
 顔を真っ赤にして怒鳴っていたエリーアスだが、ヘルゲのその言葉にうっと唸り、先ほどのキルルのようにテーブルに伏せった。
「くそ、分かってるよ。俺なんてぜんぜん眼中に無いし……」
「アヒムと顔は一緒なのになぁ」
 しみじみと呟くヘルゲに肩を叩かれても、ちっとも慰めにならない。エリーアスはその手を振り払い、再び硬い食卓に額を擦り寄せる。
「けど、こいつは伝師だろ? 導師とは別ものの坊さんなんじゃないのか?」
「四人以上の導主に認められば導師の位階が貰えるよ。そのあたりは、顔の広いエリーなら簡単に後見を見つけられるんじゃないのかな。諸々の儀式の手順は覚えなくちゃならないけどね?」
 活動的だし人と仲良くなることも上手いエリーアスだが、座って教義を勉強するのは子供の頃から苦手だった。それを知っているアヒムは敢えて意地悪く付け加える。するとエリーアスは突っ伏した姿勢のままぴくりと身動ぎした。
「そしたらお前はどうするんだよ。都に戻るのか……」
 何を心配したのかと思えば、自分の勉強のことよりアヒムの身の振り方らしい。大いに戸惑った従弟の視線には思わず笑いがこみ上げてきた。
「まさか。戻らないよ。ユニカもいるんだから。私は村医者に専念しようかな。薬草ももっと育ててみたいし、ああ、子供たちに読み書きとか計算も教えてあげたいな」
「戻ってもいいんじゃないのか。ユニカも連れてさ」
「……」
 アヒムは静かに目を伏せ、首を左右に振る。
 戻って良いと言われても、自分は戻らない。もし再び都へ上る機会があっても、それは一時的な滞在でしかないだろう。クレスツェンツがユニカに会いたいとせがんでくるのでいつかは実現することかも知れないが、きっと「また」と言って彼女とは別れる。
 彼女には彼女が守らなくてはいけないものがあるし、アヒムの腕の中にも、都の慌ただしさの中では守れない者がいた。
 もう道は分かれている。
 だから、戻ったりはしない。

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