天槍アネクドート
シングル・ピース(9)
[しおりをはさむ]



 都へ行く前は、漠然とヘルゲが言うとおりになるのかなと思っていた。
 キルルは幼い頃に家族を亡くし、村長夫妻とアヒムの父が育ててきた。
 十になる前に母親を亡くしていたアヒムにとっても家族同然で、ヘルゲにいじめられては助けを求めてくるキルルは本当に可愛い存在だった。
 彼女がアヒムへ向ける眼差しに、いつしか淡い恋心が混じり始めたことにもすぐに気がついた。子供の考えることだから、と思って知らないふりをしていたが、このまま一緒に大人になれば、自然と寄り添うことになるような気はしていた。
 けれどキルルに対する愛情は、やはり家族に対するそれで。この先も、変わることはないと思う。キルルを異性として特別な位置づけをすることは難しい。
 都へ出て、自分は良くも悪くも変わったのだなぁと思う。この小さな村の中のことしか知らなければ、ごくありふれた幸せとして受け入れていたであろうキルルの気持ちを、やんわりと遠ざけることしか出来なくなってしまっただなんて。
「そうは言うけどよ、お前にだって跡継ぎがいるだろ。誰が教会堂を継ぐんだよ」
「ジモンの下の子が、確か今年で九つだったよね、エリー?」
「兄貴の? ああ、そうだけど」
「彼をユニカの婿に迎えてもいいかな、と」
 それまでおとなしくアヒムに抱えられていたユニカが、初めて動いた。養父が自分の名前を呼んだらしいが、何の話なのか分からず、顔を上げたままきょとんとする。
「はぁ? そんなのありかよ」
「ジモンも私の従兄に当たるわけだし、血縁が近いから養子にもしやすいよ。村のみんなも受け入れてくれると思うんだけどな」
「人に頼らないで自分が自分が結婚することを考えろよ」
「いい考えじゃないか。上の子はジモンの跡を継げばいいし、下の子は私の後を継いでくれれば。ええと、名前、なんて言ったっけ……」
「下のちびの名前なら、テオナだよ」
「あ、そうそう。テオナだね」
 そんなことも思い出せないくらいに頭がぼんやりしてきた。これはいよいよ寝てしまいそうだ。
「ははは! ユニカに許嫁か! まぁなんでもいいんだけどな、導師がいなくならなきゃ。おい、だけどキルルはどうするんだよ」
 ヘルゲはしつこく、その話題から離れようとしない。子供の頃は親のいない子供だと言って散々キルルを苛め追いかけ回していたくせに、どうしてそうも彼女の生い先が気になるのか。
 きっと、この十年アヒムの帰りを待つ姿を見ていたからだろう。
「テオナが貰えないなら、君でもいいんだよ、エリー」
 むつっとして杯の縁をくわえていたエリーアスが、些か冷たい視線を送ってくる。彼のご機嫌が傾いたのは、アヒムの発言に呆れたからだけではあるまい。
「エリーアス? どういう意味だよ」
 何も知らないヘルゲは、新しい酒瓶に手を伸ばして暢気に栓を開ける。彼が興味を持った様子にエリーアスはちょっと慌てたが、アヒムは構わずに続けた。

- 55 -