シングル・ピース(7)
この村や村人たちのことはもちろん愛しいが、都で過ごした青春時代もまた愛しい。二つはあまりにかけ離れていて、結びつけるのが難しかった。
楽しかった思い出を振り返るのが怖かった、とも言えるだろうか。どちらも愛しいが、一方は過去で、もう一方は現在と未来だ。これから自分の中で比重が増していくのは後者である。どちらも愛しいとはいえ、過去は今と未来に押し潰されていく。
結局は未練があるのだなと自嘲するしかない。けれどもう戻ることは出来ない。選択のときは去ったのだ。
だからあの楽しかった日々をどこかに大切にしまっておかなければ、色褪せてしまう気がする。今や未来とは別のところに隠しておかなければ、手放し難いと思いながらも別れを告げてきた者たちが、消えてしまうように思える。
戻らなくて済むなら、と考えたことは何度もあった。友人が夢を叶える手伝いを出来たらと。
けれどあのまま都に――彼女の傍にいてはいけないとも思ったのだ。
彼女は、将来の国母である。
そんな壁を設けることを彼女は厭がるだろうが、今まで以上に一個人と親しくすることは赦されなくなるはずだった。
アヒムのような、何の身分もないただの僧侶が相手なら尚更である。だから出会った頃に伝えてあった通り、アヒムは彼女の許を離れることにした。
帰ることが出来たのは、ある意味、彼女のおかげだ。そう言おうものなら彼女は烈火のごとく怒るだろうが。
しかし、どうしても。どうしても、別れを告げるために会いに行くことが出来なかった。
次に会えるのはいつか分からない。何年も、何十年も先になるかも知れない。もしかしたら二度と会えないことも考えられる。
ならばきちんとお別れを言いたいと思っていたのに、胸にわだかまるものがあって、彼女の顔を見るのが辛いという感情の方が勝っていた。
いつからだろう。彼女のことを思い出すと、心の隅に黒いもやが立つようになったのは。
多分――王子を産んだ彼女を見舞いに行ったあの日、彼女と最後に会ったあの日からである。
「あのなぁ、」
沈んだ顔をするだけでキルルに何も言い返さないアヒムを見かね、エリーアスが刺々しい声を上げた。
「帰ってこなきゃなんて言うなよ。アヒムだって、向こうで色々諦めて来たんだぞ」
「別にそんなことしなくて良かったわ。アヒムが帰ってこないなら、教会から代わりの導師さまが派遣されてくるだけよ。都の学校の卒業も認めて貰えたんだもの。今からでも戻ってお役人にでも、偉いお医者様にでもなればいいわ」
アヒムたちが賑やかに思い出話をしている間、キルルはどんどん不機嫌になっていった。
思い当たる節はある。彼女は昔から、兄のように可愛がってくれたアヒムを誰かと共有するつもりが無いのだ。早い話が、見えないアヒムの友人たちに焼き餅を焼いている。
アヒムが帰ってこなければ良かった、なんていうのは嘘で、嫉妬心を隠すために、キルルがわざと選んでいる言葉だった。
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