天槍アネクドート
シングル・ピース(5)
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 いや。それだけではないかも知れない。
 あの頃、自分は都から離れたいと思っていた。
 最後の最後に向き合えなかったことは、少しだけ後悔している。彼女と再会できるかどうかさえ、分からないというのに。
「アヒム? ちょっと暗すぎるぞ。何がそんなに気にくわないんだよ」
「ああ、ちょっとね。大したことじゃないんだ。ただ、私を都に呼び戻そうとしている気配を感じて……」
「ああ、そうかもな。大学院を辞めるの、どれだけ反対されたか分からないしな。大学院を出てるって肩書きがあるだけで高官になれるし、案外それで釣ろうとしてるのかも? 王妃さまも、お前が帰る日を知ってたら絶対妨害しただろうし」
 正真正銘の貴族出身である学友たち、教師たちの顔が思い浮かぶ。惜しんでくれることは嬉しいが、アヒムとて、滅多な理由がない限り村を離れるわけにはいかない。今更都へ戻って医官になれと言われようものならとても困る。妙な圧力をかけてこなければいいのだが……と思った。
 その点彼女なら、ちゃんと送り出してくれたはずだ。初めから、都を去ることは言ってあったのだもの。
「なぁ、その王妃さまっていうのは、あの王妃さまなのかよ? 何年か前に王さまに輿入れしたっていう?」
「他に誰がいるんだよ」
「おかしいだろ。なんでそんなお方から、こんな田舎者のところに贈り物がわんさか届くんだ」
「アヒムは顔が広いからな」
 何故か自分のことのように得意げな顔をするエリーアスを、詳しく聞かせろ、とつつくヘルゲ。なんとなく視線を感じて隣を見てみれば、ユニカも大きな目を好奇心で輝かせ、こちらを見上げていた。
 そう言えば、娘にも折に触れて都の友人のことを話していたなぁ。
 どうやら今夜は、色々な昔語りをしなくてはいけないようだ。
 安堵感のような、もの悲しさのような、少しだけ泣きたい気持ちになりながら、アヒムはユニカの髪を撫でた。
「とにかく、まずは乾杯だろ」
「そんなにいいお酒なんだ?」
「王家に献上するためだけに作られた葡萄酒だよ! 国王陛下か王妃さまが個人的に贈らなきゃ、王族以外の人間はまず飲めない」
 まさにその特異な例がここにあるわけだ。王妃もこの贈り物をエリーアスへ託すときさんざん自慢しただろうし、方々を渡り歩き、高級品をお召しになる貴族たちとも多少交流があるエリーアスが言うのだから、口にする機会を与えられたこと自体が名誉と言ってもいいくらいかも知れない。
「そう、それなら、王妃さまのお気持ちをありがたく頂こうかな」
「よしよし。んじゃ、おめでとうアヒム」

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