天槍アネクドート
シングル・ピース(1)
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 仄青く、分厚い雲に覆われた空を振り仰ぎ、アヒムは荷馬車から飛び降りた。冷え切った地表はうっすらと白いものに覆われていて、彼が降り立てばさくさくと凍った音がする。
「本降りになる前に戻れて良かったな、導師」
 馭者台に乗っていた男が、笑いながら荷物を投げてよこした。
「ええ、助かりました、ハンスさん」
 それを受け取ると、風ではためく外套を抑えながら、アヒムは隣街からの脚になってくれた村人に頭を下げる。
 シヴィロ王国の南端にあるこのブレイ村にも、とうとう冬がやってきた。去年まで住んでいた都なら、とうに雪に覆われている時期だ。故郷はこんなに暖かかったっけなぁなどと暢気に考えていたが、雪がちらつき始めるとやはり寒い。明日の朝には村中が真っ白になっているだろう。そんな予感のする冷え込みだ。
「お互い様だ。早いところ帰って一杯やろう。じゃあな」
「お気をつけて」
 壮年の男は、街で買い入れてきた品物を満載した馬車を走らせ、村の中を西へ向けて走って行った。その後を追うように粉雪が舞う。風が強くなってきたなと思いながら、アヒムは踵を返した。
 十年ぶりに戻ってきた故郷で迎える、最初の冬だ。このあたりはどれくらい雪が降るのだったろうか。もうよく思い出せない。それほど長くこの地を離れていたし、唯一の肉親であった父親も、アヒムの帰郷を待たずに死んだ。正直、戻るのは不安だった。
 しかしそんな彼の憂いを余所に、ブレイ村は変わらず彼の家だった。
 昔と変わらず接してくれる村人、幼なじみや友人たち。そして思いもかけず迎えることになった家族。
 帰りを待ってくれる人がいるというのは、こんなにも心強いことなのだ。

 向かいに小さな鐘楼を抱えた教会堂が見える。その隣に建っているのがアヒムの家だ。
 煙突からは薄暗い空へ向けて煙が立ち上っていた。留守番を頼んでいた幼なじみのキルルが、ちょうど夕飯の用意をしているのだろうか。
 居間の窓から中で点された灯りが見えるところまで近づくと、玄関のドアの前でうずくまっていた小さな人陰がぴょんっと立ち上がった。
 冷え込む夕暮れ時にも関わらず、外でじっとしいた小柄な少女は、さくさくと軽快な足音を立て一目散にアヒムの許へ走ってきた。そして、かがんで彼女を迎えたアヒムの腕の中へ飛び込んでくる。
「ただいま、ユニカ」
「お帰りなさい」
「外で待ってたのかい?」
 春から一緒に暮らしている養女のユニカは、アヒムの問いかけに大きく首を振って頷き、ますます強く腰にしがみついてきた。こんなに思い切り甘えてくれるのはちょっと珍しい。三日も家を空けていたかいがあったというもの。
 ユニカが着ている綿入りのケープには、うっすらと雪が積もっている。いつから待っていてくれたのだろう。彼女はちょっと特殊な身体の持ち主だから簡単に風邪など引かないだろうが、頬を氷のように冷たくして待って貰うのは気の毒だった。

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