ある少女の懺悔−落暉−(5)
ちょっとした騒動になったのは、その患者二人をブレイ村で受け入れた日の午後だった。
「アヒム、アヒム!」
キルルの一件があってから用意した空き家の療養所に患者を運び込み、隣村の導師にアヒムが用いた薬の処方を教えていた時、村長が文字通り転がり込んできた。
疫病の脅威が間近に迫っているとはいえ、今は小麦の収穫期。村長も毎日畑に出ている。今日も例にもれず野良仕事をしていたようで、彼はそこかしこにみずみずしさの残る小麦の葉をくっつけていた。
「どうしましたか」
がっくりと膝をついた村長を抱き起こす。何事かと問うても返ってくるのは苦しそうな喘ぎばかりだ。
しかし、アヒムが若くはない村長の背をさすっているうちに、彼が何を伝えるべく駆けつけたのかは自ずと分かった。
ガラガラと無遠慮な車輪の音を響かせてやって来た馬車が一台、空き家の前に停まる。
扉にあしらわれた家紋には見覚えがあった。タルナート伯爵家――ブレイ村の領主の家紋だ。
それを振り返って確かめた村長は、息が整わないまま潰れたうめき声を上げた。アヒムも彼と同じ気持ちで、馬車の窓からちらりと顔を覗かせた男を見上げた。
馬車に乗っていたのはタルナート伯爵の代官ではない、なんと伯爵本人だった。
アヒムはブレイ村で育ったが、彼の顔を見たのは導師就任の挨拶に行った時が最初で最後だ。この田舎ではそれが普通である。貴族というのは平民相手に自ら足を動かすことはないのだから。
その貴族が、こんな時に姿を現したのには相当の理由があるだろう。もちろんいい予感はしない。それに、もともとタルナート伯爵とアヒムの家系あまり折り合いがよろしくない。
というのも、アヒムの曾祖父がペシラから派遣されてきた導師だったからだ。曾祖父の代の話といっても、長い歴史を持つタルナート家にとってはそう古い話ではない。しかも、アヒムの代に至ってもブレイ村の導師はペシラの導主達と繋がりが深く、同時に、ビーレ領邦太守エメルト伯爵家とも浅からぬ交流が続いていた。現に、アヒムはその伝手を利用して王都へ遊学に行っている。
ビーレ領邦の教会の本拠たる大教会堂と、爵位は同じでも領邦内における実力ではタルナート家と比較にならないエメルト家の息がかかったアヒムの父祖達は、教義のもと、徴税や裁判が公正に行われるよう村を監視してきた。
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