くれ惑い、ゆき迷い(15)
* * *
お湯に浸かってしっかり身体を温めさせて貰ったあと、ユニカはある一室に通された。
王城のユニカの部屋ほどではないが、広くて陽当たりのよい、そしてなんだかほっとする生活感が残る誰かの部屋だ。
書棚には大小様々な背丈の本がわりと無造作に詰め込まれていて、窓辺にある書きもの机の隅には数本のペンや便箋をきちんと収めた文箱が蓋を開けたまま置かれている。インク壺が空なところを見ると、最近は使われていないらしいが。
その文箱の隣には平積みにされた本が三冊。上に置かれた覚え書きは帳面の切れ端。そろえて置かれた楽譜と、それを押さえる小鳥を象った硝子の置物。
そして部屋の真ん中を占める白い大きなクラヴィア。
ぐるりと部屋を見回したユニカは、すぐにその部屋の主が誰であるかを悟った。
「ここは、王妃様がお輿入れなさるまで過ごされたお部屋です。ユニカ様が当家へ滞在なさる時にはこちらをお使いになるようにと、旦那様が。王妃様が嫁いでゆかれたその日のままですが、今後はユニカ様のお好きになさって結構です」
「王妃様の、お部屋……」
やっぱり、と思いながら、ユニカは灯りの中に浮かび上がる調度類を一つ一つじっくりと見て納得した。
王妃がユニカに買い与えてくれた家具の趣向がここにはあるし、整理されているようで雑然としている本棚や机の上の様子は、数度だけ立ち入ったことのある王妃の執務室の様子にそっくりだった。
嫁ぐ前からああいうお方だったのだな。ユニカは懐かしく思いつつクラヴィアに歩み寄り、静かに鍵盤の蓋を開けた。よほど弾きこんだのだろう。白い鍵盤にはワニスとは違う滑らかな脂の光沢があった。
その鍵盤に指を這わせながら、ユニカはしゅんと項垂れる。
王家へ嫁いだ方の部屋へ入った。自分は王妃様と同じ立場になるのだ。どこかへ嫁いでこそ意味のある貴族の娘に。
さっき、ディルクに投げかけられた言葉が嫌な感触で胸に引っかかっていた。
他国の貴族や見も知らぬ誰かが、ユニカを――エルツェ公爵家の姫君を妻にしたいと望むかも知れない。
ユニカは自分の経歴をよく知っているのでそんなことはあり得ないと思う一方、エルツェ家の家名が持つ力を理解していないのも事実だ。
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