くれ惑い、ゆき迷い(9)
自分達は兄弟も同然。クリスティアンが大公の命に従いエイルリヒの騎士とならなかった心情だって、ディルクは察してくれているだろう。クリスティアンには爵位を譲れる弟がいるし、長く父を支えてきた母も健在だ。彼個人が一族を棄てたところで大きな問題はない。
けれどディルクは公国から連れ出す騎士の中にクリスティアンの名を入れてはくれなかった。ルウェルは連れて行ったのに、だ。
理由は今日までに色々と聞き出したが、本音を語ってくれていないことは分かっている。
ディルクは、父のことを思い出すのが嫌なのだ。
まだ誰にも語れないほど、彼の傷は濡れて赤々と腫れたままだ。事情を察している者にも何も言えないくらい、ずっとずっと痛いのだ。
それなら、父のことを思い出させる自分はやはり公国へ帰った方がよいのではないだろうかと考えもした。
けれどあの二人がああも無遠慮なのに、なぜクリスティアンだけ遠慮せねばならない。
愛情の押し売りどころか、ディルクが迷惑そうにしていても構わない、自分がディルクを好きでいるからそれでいいという心をちょっとも隠そうとしていないルウェルやレオノーレ。いつも少しの羨ましさを抱きつつ彼らの態度を諫めていたクリスティアンだったが、しかしディルクから引き離されていたこの二年、そういう接し方が必要な時もあるのだと彼は学んだのだった。
現に、ディルクはルウェルのこともレオノーレのことも拒んではいない。クリスティアンが跪いた時には困った顔をしていたが、政治的な問題はレオノーレが力業で片付けると決まってからは、クリスティアンに与える家名をこそこそと探してくれているらしい。
公国を棄てるならばシヴィロ王国にある母の実家に身を寄せようと思っていたが、自分だけの爵位や家名を貰えるのなら自由にディルクにまとわりついていられる。ルウェルやレオノーレのように――。
ルウェルはディルクとユニカがしずしずと囲んでいたテーブルの隣にどっかりと腰を下ろし、ディルクから奪い取ったと思しきパンを囓っていた。
「飢えた犬か、お前は」
「飢えてたのは確か」
「金は持たせてあっただろ」
「飯より仕事を優先した俺をまず褒めてもいいんじゃねぇの!? 俺すっごい走ったんだけど! すっごい走ってお前のこと探したんだけど!」
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