天槍のユニカ



くれ惑い、ゆき迷い(8)

 ディルクがすべてを失ったところで、公妃は涙の一滴も流さないというのに……。
「見つけた!!」
 ばたばたとやかましい足音が近づいてくるのを聞いていたので、空から街並みへと視線を戻すクリスティアンの目は醒めていた。
 時間が中途半端なために人通りは多くない。そんな中を駆けてくるルウェルは道行く人々の視線をもれなく集めている。
「なんで俺だけ撒(ま)かれるんだよ!!」
 ルウェルの赤毛はただでさえ癖でひょんひょんと跳ねているのに、風に乱れ更にぼさっと広がっている。あちこち駆けずり回ってきたと見えるが、大して息を乱していないあたりはさすがに体力馬鹿だなとクリスティアンは思った。
「そうして悪目立ちするからだ」
 はじめから遁走した一行と距離をとり、静かに護衛することになっていたクリスティアンはディルクからの不意打ちを食らわずに済んだし、おかげで仲良く手を繋いで歩く前の主とその想い人だという女性の後ろ姿を眺めてほのぼのと楽しむことが出来た。
 もっとも、当の二人の関係は上手く修復出来なかったようだが……。
 クリスティアンがちらりと硝子窓を見遣ると、ルウェルが目敏くそれに気づく。彼は額を桟にぶつけるのも構わず窓に貼り付き、その中にいる主達の姿を見つけた。
「飯食ってやがる!」
 ああ、やっぱりこの赤毛にとって大事なのはそれなのだ。主達の顔を見てみろ。よく割り込んでいけるな、とクリスティアンが溜め息をもらした時にはもう、「ずるいぞお前ら!!」と叫びながらルウェルは食堂の中に突入していた。
 まぁ、話は決裂してしまったようだし、ここいらで仕切り直しのきっかけを作って差し上げるのもいいか。力の入らない背筋をどうにか伸ばして、クリスティアンもルウェルに続き店に入る。
 ディルクが王家へ迎えられると聞いた時、クリスティアンは内心それを喜んだ。シヴィロ国王は紛れもなくディルクの身内であるし、大公家の中にディルクが楽に息を出来る居場所はない。
 だったら一からすべてを築き上げる苦労はあっても、シヴィロ王国で為政者としての力を十分に開花させて欲しかった。たった十九歳で諸将を従え大きな戦を勝ち残った――それは紛れもなくディルクの能力なのだから。
 そして公国を出て行くなら、しがらみのない場所へ行けるなら、あの戦以来避け続けてきたクリスティアンにも声をかけてくれるだろうと確信していた。

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