くれ惑い、ゆき迷い(5)
「……君がこれからも王城で暮らしたいようなら、とりあえずは安心したよ。エルツェ家へ行ってそれきり帰ってこないこともあるんじゃないかと思った」
皿の上に落としていた視線を少しだけ上げ、ユニカは苦笑しているディルクを上目遣いに睨んだ。
言い訳。彼は最初にそう断ったが、本当に彼の都合を語られただけだった。納得出来るはずがない。
そんな気持ちを見せつけるようにディルクをひとしきり睨むと、ユニカはついと顔を背ける。
「そのイヤリングだけど、」
ディルクは何か言いかけるが、それでもユニカは彼の顔を見ることはなかった。ただ、耳許で存在を主張する宝石のことだけは思い浮かべる。
まだ、何色なのか、どんな形をしているのかさえ知らないが、エルツェ家の屋敷へ行ったらこれも取ってしまおうと思った。
ユニカが黙ってスプーンを手に取ると、ディルクも先を語るのを諦めたらしい。溜め息交じりの苦笑をこぼして、きっと語ろうとしていた続きではない言葉を、ぽとりと落とすように呟いた。
「……もう、俺から君に触れることはしないよ、二度と。それを謝意の証にしよう」
ユニカはスプーンの立てた器の中の波を見つめて目を瞠る。しかし顔を上げて相手の表情を確かめる勇気はなかった。
声はひどく傷ついているように聞こえる。だから、顔を上げてディルクの目を見たら、きっと悪いことをしたような気になってしまう。
そういう気分になっておけばいいのはディルクの方だ。それに、口ではそんなことを言っていたってどうせ実現するのは無理だろう。
彼はいつでも勝手にユニカの手を引っ張る。出会ってから今日に至るまでずっとそうだった。馬車から走った時も、街を歩いている間も。
好きにしたらいいわ。
きゅっと噛みしめていた下唇を放し、ユニカはほどよく温んだ白いスープを口に運んだ。
硝子越しにディルクの表情を観察していたクリスティアンは、晴れ間の広がり始めた王都の空を淋しげに見上げた。
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