天槍のユニカ



くれ惑い、ゆき迷い(1)

第2話 くれ惑い、ゆき迷い


「君はトルイユという国をどれくらい知っている?」
 苦々しい沈黙のあと、店内の話し声に紛れるような声でディルクは切り出した。
「トルイユ……? 南の隣国だわ」
「そう。君の故郷のビーレ領邦は国境を接しているし、君の髪色だってあちらの国の人々に多い黒だ。案外なじみ深い相手かも知れないな」
「トルイユからビーレ領邦へ来ている人も多いと聞いたことがあります」
「うん、ビーレ領邦は商業が盛んな都市も多いから商売に来ている者もいるだろうし、仕事や住み処を求めて来る者もいるだろう。シヴィロの方が豊かだからね。陛下もビーレ領邦の太守も安い税でそれを受け入れている」
 ユニカの前に差し出した扇子をそろりと撫で、ディルクは溜め息をついた。温かな湯気の向こうにあってさえ手許に注がれる視線が冷ややかなのがよく分かる。
「あの国の王家は一度倒れた。臣下の謀反で王城を追われ、別の臣下の手助けを得て王はまた玉座に座ることが出来たが……一度追い落とされた王に求心力などない。今、トルイユで実権を担っているのが摂政を務めているブルシーク家の当主――君が踊ったアレシュ殿の父君なんだよ」
 ユニカは膝の上に手をそろえてじっと聞いていたが、柔和な青年の顔を思い出すなり目を瞠る。トルイユの全権大使だとは聞いていたが、そういう立場の使者だったのか。
「ところが、そもそも王家転覆の首謀者を操っていたのもそのブルシーク家というのがもっぱらの噂で、財力も兵力も失ったトルイユの王家は摂政の一族の言いなりだ。逆らえば殺されてしまうからね。それよりはもっと穏やかな形でブルシーク家に然るべきものを譲り、何もかもを失うことだけは避けようと大人しい操り人形になっている」
「然るべきものというのは、」
「王権と玉座。そう遠くないうちに、トルイユの王家は替わるだろう。そして、きっと二代目に王冠を戴くのはアレシュ殿だ」
 王冠を――彼も、王族に。
 確かに、元日のあとから続く数々の宴で、あの青年が従える貴族の一団と王は何度も話をしていたような気がする。公国の代表であったレオノーレには主にディルクが対応していたので、もてなしの手厚さという点では比較しづらいが、なるほどあれは未来の王族に対する待遇だったというわけか……。
「そのことも含めて陛下はアレシュ殿を蔑ろにしない。シヴィロ王国がトルイユへの親和政策をとり続けるつもりなら当然のことだが――」

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