雨がやむとき(20)
「お昼を過ぎているから、きっともうないわ」
「それは行って確かめればいいよ」
そう言って子供のように笑い、ユニカを引っ張ったまま店に入っていってしまうのだからこの人にもレオノーレに似たところがある……素の笑顔だったのだろうなと思うのは、窯の残り火でよく温められたままのパンを手に入れられた時にまた同じように笑ったからだ。
「こんなものが王太子殿下のお口に合うの?」
「王太子になったのはつい最近のことだろう。それまではルウェルとつるんで結構自由に街で飲み食いしてたんだ。さて次は座る場所だな……」
確かに王太子になったのはつい最近のことかも知れないが、そうなのか。紛れもなくシヴィロの王女の息子である彼が。
ユニカは返す言葉が見つからず、小さな声で相槌を打つことしか出来なかった。
それも、先日レオノーレから聞いた話に関わることなのだろう。
王族の不自由さなら、近くで王妃や王の暮らしを見ていたユニカには分かる。彼らは自分の意思だけでは城の外へ出ることも出来ない。
ディルクはそんなふうには扱われていなかったのだ。身分は大公の長子でも、大公家の人間としての義務もなければ、権限もない。
心許ないし、いい気分ではないはずだ。
ユニカはそのことを知っていた。
引き留めてくれるものがない。どこへゆく意思もない。
だから手を引いて貰えるのが心地よい。安心できる。――当たり前だ。
ユニカは不意に立ち止まった。すると、繋いだ手を引っ張られてディルクも立ち止まる。
「ユニカ?」
その時自分がどんな顔をしていたのかは分からないが、振り返ったディルクは彼女の表情に何か見つけたのだろう。
「よく歩いたせいで疲れたんだろう。その店で休もうか」
まるであの宴の夜、自らのことを語った時のような、凪いで、曇っている目で彼はそう言った。
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