雨がやむとき(3)
まるで、あの宴での出来事のことなど覚えていないかのように。
彼は目を伏せながら顔を逸らし、馬首を巡らせてユニカに背を向けた。
「雨はやみそうだが……急ごう」
ディルクは、いつものように笑いかけてはくれなかった。
* * * * *
少し前に城を降りた時は夜だった。レオノーレとクレマー伯爵夫人に連れられ歌劇を見に行った夜のことだ。
真夜中の外出で景色などまるで見えなかったから、雪に覆われる城下町を見るのは初めてだ。
とはいえ今日も雨が降っているように、もう冬が終わる。
薔薇色煉瓦の街並みは石畳も家々の屋根も、その薄紅の色を取り戻しつつあった。
クヴェン王子の葬列に加わり歩いた時とも違う。雨の中に混じり始めた日差しが人々に活気を与えている。
新年の祝いに伴い爆発的に増えた王都の人口は、ひとまず元へと戻りつつあった。それでも大通りには人も馬車も多く行き来し、そんな中をゆくエルツェ公爵家の家紋をつけた馬車と、それを守る近衛騎士、公国騎士の一団は大変目立った。
ましてその先頭をゆくのは王太子だ。露払いの騎士が民衆を追い払いながら進むおかげで一行の進む速度はたゆまないが、見物人はどんどん増えていく。
王太子が自ら警護する、それもエルツェ公爵家の馬車に乗る人物とは誰なのだろう?
民衆には、それが天槍の娘≠ナあるとは想像もつくまい。そもそも、ユニカが王家の身分に迎えられたことさえ民は知らないだろう。そして彼女が亡き王妃との縁によってエルツェ公爵家の姫君になることも。
馬車の窓には薄絹のカーテンが引いてあったが、折り重なるようにして歩道に並び、好奇心いっぱいの目でユニカ達を見つめる人々の姿はうっすらと見えた。彼らからユニカの姿は見えないと分かっていても緊張で身体が強張る。
「ユニカ様」
それを察してか、隣に座ったエリュゼが時折声をかけてきた。
新年の祝いが続く間は随分顔色が悪いと思っていたエリュゼだったが、今日は間近で見てもそうでもない。やはり疲れていただけなのだろうか。
「もうじき右手に見えてくるのがアマリアの市庁舎ですわ。国王陛下に代わって都の行政を司る市長がおります。各領邦の太守館にあたる場所です。施療院の診療所も入っております」
- 633 -
[しおりをはさむ]