空の器(9)
「辛いな」
「近衛の方がすすめて下さったものです。城下では有名な腸詰めの店のサラミで、さっそく買い求めてきました」
「レオと一緒にか?」
「はい」
クリスティアンは苦笑混じりに頷いた。ディルクと、レオノーレの騎士団長ヴィルヘルムの言いつけに従い、彼は公女の見張り役≠ちゃんと努めていた。
勝手な外出は阻止できなかったようだが、それでもやんわりと釘を刺すクリスティアンのやり方がレオノーレは苦手なようで、案外とこの青年のいうことはよく聞いている。街に降りても、きっと目立つ行動は防がれていたに違いない。
本当は早いところユニカの傍に置きたいのだが……それも、クリスティアンから大公家へ宛てた暇乞いの書簡が完成してからでなくてはならない。
――そう思うと、また憂鬱がこみ上げてきた。
ユニカ。彼女の怯えた目を思い出すだけで。
「ディルクの好きな味じゃない?」
レオノーレが眉を曇らせるディルクの顔を覗き込んできた。ディルクは薄い肉片を呑み込んでから、怪訝そうな妹に笑い返す。
「ああ、これくらいの方がいい」
「でしょ」
噛みしめる腸詰めの味は、貴族出身者ばかりの近衛隊の兵士がすすめたにしては随分庶民的だった。長期保存をきかせるために思いっきり辛くした腸詰め。
安く長く食糧を保存しておきたいのは軍隊も同じで、こういう濃い味付けの固い食べ物は、ディルク達にとっては懐かしい味だ。
宮廷貴族たちが好む、脂っこくて温くて作法にもうるさい食事より、こうして片手で持って、あとは適当な酒があれば楽しめるものの方がディルクは好きだったりする。
そしてこの四人で酒肴を囲んでいると、公国にいた頃を思い出した。
大公家の人間としての資格を欠いて産まれてきた自分。しかしそれも受け入れて、補い、愛してくれた家族と仲間。
彼らとともに身を置くなら、例えそこがどんなに血腥い殺し合いの前線でもよかった。
誰かが欠けてしまうかも知れない戦いの中でも、彼らと一緒なら負けはしないと思っていた。
けれど、バルタス鉱山奪還戦での大勝≠ゥら、ディルクは立ち直れずに逃げた。そんな彼に、その後も騎士として戦い続けた彼らを前にして過去を懐かしめるわけがない。
ここにいる誰にも、真意を打ち明けていないからなおさら。
ディルクの力ない反応が気にくわなかったレオノーレは、相変わらず大事そうに瓶を抱えたまま唇を尖らせた。
「可哀想に、ディルク。お酒もつまみも持ってきたのに、今日もぜんぜん喜んでくれないなんて。ユニカにふられたのがよっぽど悲しいのね。まあ座って、とりあえずあたしの話を聞いてよ」
「俺の話を聞いてくれるんじゃなくてか」
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