天槍のユニカ



空の器(8)

 理由は自分でもよく分からない。
 衆目の前でアレシュからユニカを取り戻せば、それで目的は済んだだろうに。
 ディルクが渡した薔薇を髪に挿して、ディルクに見つかったことに狼狽えていたユニカの様子を見ると、腹立たしくてたまらなかった。
 なんにしたってユニカに非はない。せめてあの場で我に返り詫びることが出来ていればよかったのに――もう五日が過ぎている。
 会うのは噂≠フ火勢が弱まるのを待ってから……というのもあったが、あの日のことを思い出すと、心が燃え上がっては灰のようになることの繰り返しで、自ら進んで行動を起こそうと思えなかった。
 代わりに動き回っているのは、帰国する公国使節団とは別行動をとる予定のレオノーレだ。
 火灯し頃にはまだ少し早い時間。彼女は今日もディルクの執務室を訪れた。
 ドンドンと扉を叩く音にカミルが「ひえっ」と悲鳴を上げた。彼は、トロそうとか頭悪そうとか世継ぎの侍従がこの程度? とか、憚ることなく言うレオノーレがすっかり苦手になっているようだ。無理もない。
 しかしそうして応対が遅れると、カミルはますます罵られる。
 カミルが恐々と、しかし急いで公女を招き入れに行くと、待ちきれなかったと見えるレオノーレが勢いよく扉を開けた。
 ごんっ という痛ましい音には気づいたようだが、借金取りのように執務室へ踏み込んできた彼女は手土産の葡萄酒を抱えたままディルクを睨むと、ルウェルが居座っている向かいのソファにどっかりと腰を下ろした。そして脚を組み、傲然と胸を反らしながら怒鳴った。
「どうしてくれるのよディルク! ユニカがあたしにも会ってくれないわ! このまま親友をやめるって言われたらどう責任をとってくれるの!?」
「俺の侍従を撥ねたぞ」
「知ってるわよ! 手応えがあったもの」
 扉の前で悶えるカミルを、クリスティアンが慰めていた。三ヶ月ほど前にもよく似た光景を目にしたが、弟の対応も妹の対応もひどいものだ。他人事のように見ている自分も結構ひどい、と思いながら、ディルクは机を離れた。
 もう今日の仕事は終いだ。どうせ集中できないしやる気もない。
 カミルに手当が必要ないかを確認してから、ディルクは四人分の杯を持ってくるよう彼に命じた。
「カミルの鼻は丈夫だよなあ。俺が馬で蹴っちゃったけど無事だし、レオに撥ねられても無事だし」
「折れにくい程良い高さなんでしょ」
 いつでも思うがままに余計なことを言う二人がそろっていたので、これは杯を持ってきてくれたカミルを早々にに退避させてやらねば彼の胃と心臓が保たなさそうだ。
 そう考えながら、ディルクはクリスティアンが酒の肴にと持ってきてくれた包みを開いた。乾燥させた腸詰めだ。しかも、わざわざ薄切りにして鉢に盛ってあった。一枚取り上げてかじってみると、香辛料とハーブのきつい香りがつんと舌に広がる。

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