天槍のユニカ



不協和音(2)

 ただ、その間じっと無言で見つめられるのにはどうしていいか分からなかった。
 男の顔から笑みは消えたまま、彼こそ楽しんでいるようには見えない。けれど視線を逸らすことも出来ないまま、ユニカはせわしない瞬きを繰り返した。
 男が口を開いたのは、さらに曲が進んで、もう三分の一を残すのみとなった頃。
「ずっとお話ししてみたいと思っていましたが、いざあなたを前にすると言葉がありません。せっかくこうしてお相手下さったのに」
「……」
 まだ転ばずに済んでいるが、話す余裕があるのとは違う。ユニカは自分と男の間に流れるリズムを見失わないように声を出さなかった。
「元日の参賀の儀式の折……いにしえの白い衣裳を着て玉座の隣にお出ましになったあなたを見たときは、驚きのあまり心臓が止まるかと思いました」
 何を言い出すのかと思ったが、ユニカは相槌を打つ代わりにぱちりと瞬きをした。男はそれに気づいたのか分からないが、これまでの無表情にじわりと感慨を滲ませて笑った。
「美しかった。この世のものとは思えないほど……そしてあなたのお名前を伺って得心がいきました。ユニカ様――ユーニキア。女神の名ですね。万能の治癒の術を持つ、姉妹の中では十番目の女神だ」
 じわりと、胸に鈍い痛みが広がる。そして音楽の向こうから微かな警鐘が聞こえてくる。けれどまだ曲は終わらず、彼から離れることが出来ない。
 そんな警戒心と戸惑いが思いっきり顔に出たのだろう。男は眉尻を下げた。
「違うのです。私は、その名があなたに相応しいと思っただけで。あなたにどのような謂われがあろうと関係ない。ただ、間近でお話ししたかったのです。女神のようなあなたと」
「め……」
 ユニカは思わず声を上げかけたが、リズムを見失うすんでのところで我に返り口を噤んだ。ステップの乱れはごまかせるくらい。大丈夫、と気を引き締め再び音楽に耳を傾けるが、ユニカを見つめる男の瞳が真剣過ぎていたたまれない。
「我がトルイユでは、この世を造ったのは天の主神でも、世の中の万象を司り巡らせているのは、その娘の女神達であるとされています。同じ神話の神々を戴きながら女神達のことを忘れようとしているシヴィロ王国やウゼロ公国の国教会とは違い、我らは日々の出来事を女神達にこそ感謝する。あるいは我が国の方が、あなたという存在を受け入れやすいかも知れませんね」
 それはどういう意味だろう。この青年は、こんなに真剣な目で何をいわんとしているのだろう。
 怪訝に思ったユニカが瞬きをした瞬間。青年の肩越しに、誰かの鋭い視線と目が合った気がした。
 けれどそれはくるりくるりと回る最中のことだったので、気のせいかと思うくらい微かな気配で、すぐに過ぎ去ってしまった。しかしその中に感じた冷たい怒り。
 誰だろう。ユニカの意識はいっぺんにその視線の気配に奪われる。
 特にここ数ヶ月の経験から、ユニカは身の危険を感じたら意識的に周囲を警戒するようになった。とはいえこの大勢の前で踊っているのだ。そろそろユニカがトルイユの使節の相手をしていることに気づき、理不尽に嫉妬心を燃やすどこぞの姫君や貴族がいてもおかしくはない。

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