天槍のユニカ



はなびらの憂い(16)

 言わずもがな、最後のダンスの相手云々のことだろう。分かっていたがしらばっくれる。笑いごとではないのだ。こちらは深刻に――怒っている。そう。ユニカを気まぐれに人々の前に引きずりだそうとするディルクに対して怒っているのだから。
「殿下の薔薇があるので、私から姫君に花を贈ることは出来ませんし最後のお相手を申し込むこともできませんが、よろしければその前に一曲、私とも踊って頂けませんか」
が、ユニカは自然と眉間に寄せていたしわを解くはめになった。
「はい?」
 あるはずのない申し出には、素っ頓狂なお返事しか用意出来なかった。ユニカは瞬きも忘れて男を見上げる。
 公爵には、王族として表へ出たからには社交の手段としてのダンスに誘われる可能性があると言われ一昨日までダンスの授業を受けていたが、今日の今日までそんなことはなかった。それが最後の大宴会にたどり着いてようやく申し込みが、それも二件も、いったいなぜ。
 いや、今はそれどころではない。踊るなんて冗談ではない。それもトルイユの正式な使者と。本物の外交官と。
「い、いいえ、下手、なので、とても」
「こういうものは上手い下手ではありませんよ。それに今日は砕けた宴です。新しい年と新しい出会いに感謝し、再会を願うための場。楽しい思い出を作れさえすればよいのです」
 そんなのは嘘だ! 貴族達は踊りが下手な者の悪口を囁き合っているし、逆に彼は顔はだめだが踊るのは上手いのでいっそ首から上を替えた方がいいなどという笑えない冗談を言っていたのを聞いたこともある。それに楽しいか楽しくないかはユニカが決めるのだ。この場合、絶対に楽しくない。だからご遠慮したい。
「いいえ、わ、私……」
 しかし肝心な断り文句が出てこなかった。ユニカは空回る思考と空回る唇をどうにかしようと考えてさらに頭を空回らせる。
 目も回りそうな混乱で慌てふためくユニカをさすがに哀れに思ったのか、男は苦笑しながらも少しだけ譲歩してくれることにしたらしい。
「それほど困らせてしまうとは思いもせず、失礼いたしました。ではこの曲が終わるまでに決めて下さい。お嫌でしたら、どうぞ手をお放しになって」
 本当に少しだけだった。決断を数分先へ延ばしてくれたが、手を握られては意味がない。
 ホールには小鳥がさえずるような旋律が流れる。いつかディルクがフィドルで弾いていた曲だ。春の訪れを祝う曲で、人々を舞わせるには実に相応しい。
 やがて小鳥が歌い終え、ゆったりとした春風が吹き、踊る人々を嗜める。もうじき曲が終わる。脚が震える。
 手を放せばいいと男は言った。だったら放せばいいのではないか? けれど彼の胸に輝く六つ星の紋章と、ユニカの指にはまった青金の指輪が決断を躊躇わせる。
 断ってもいいのか分からない。お互いの身分があるゆえに。たとえ片方が紛いものでも、二人はそれぞれ国の象徴を身につけてる。
 教えてくれそうな公爵夫人もレオノーレもエリュゼも傍におらず、ディルクはホールの中で別の姫君と一緒だ。

 春風が通り過ぎたあと、男はユニカの手を握ったままにこりと笑った。
「では、参りましょうか」






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