はなびらの憂い(14)
深い紺色の方こそ白粉がつけば目立ってしまう。相手が誰かも思い出せないのでは汚れを清めてからお返しすることも出来ない。
それゆえ遠慮したいのはもちろんのこと、好奇心で近づいてくる貴族の男に構われたくなかったユニカはそっけなく首を振った。それでも男は引き下がらなかった。
「お気になさらず。姫君の美しい面(おもて)が濡れている方が一大事です。お使い下さい」
そして一歩こちらに踏み出してきた。ユニカは慌ててハンカチを受け取る。無闇に近づかれるよりはよほどいい。
恐る恐る目許の涙を押さえるとハンカチにしみた香水の香りが鼻腔に忍び込んできた。少し渋みがあるムスクの香り。
(この匂い……どこかで……?)
記憶の隅にチクリと棘が刺さる。
「落ち着かれましたか?お加減が悪いのなら人を呼びますが」
「い、いいえ。おかげさまで……ありがとうございました。あの、こちらは汚してしまったので、後日新しいものをお贈りいたします」
「姫君が私のためにハンカチを見繕ってくださるというのは大変魅力的なお話ですが、どうぞお気になさらないで下さい。申し上げた通り、姫君の美しい面が濡れていることの方がよろしくありません。押しつけがましいようでしたが、お役に立ててよかった」
男はユニカに断る暇も与えることなくハンカチを取り返した。その仕草はごく自然で追いすがれない。
とはいえ貴族の間ではこういう些細なやりとりをなおざりにすることは許されなかった。後日必ず相手に接触を図り、あのときはどうも、という会話をせねばならないのだ。それも人目のあるところで。見栄が命の貴族らしい掟だ。
ハンカチに縫いこまれていた紋章を覚えておかねば……しかしユニカははたと気づいた。
六つ星の紋章。
「あ……トルイユの……」
思わず口に出してからしまったと口をつぐむ。それは今の今まで相手の名前を忘れていたと白状するも同じことだ。
ユニカはますます肩を強張らせたが、男はにっこりと笑みを深めた。
「覚えていて頂けましたか。二日の日に一度ご挨拶したきりお話しする機会はなかったので、ご記憶にないだろうと思っておりました。今日はお一人ですか? いつもご一緒の王太子殿下や公爵夫人は」
「今、少し離れていて……」
そうですか、と相槌は打つものの、名前は名乗ってくれない男。困った。相手がトルイユの使節だということは思い出せたが、名前がなかなか出てこないのだ。
(確か、アレン……違うかしら、アレフ……?)
どうか名前を呼ばねばならない状況が訪れませんように。
ユニカの願いも虚しく、男は通りかかった人を避けるついでに隣へやってきた。緊張が一気に高まる。けれど国賓を相手に、たとえさりげなくでも逃げるという真似が出来ない。
「今日は最後のダンスの相手に花を渡すという趣向なのですね。そこここに仲の睦まじさを見せびらかしてくれる方々がいて羨ましい限りです。一昨年の新年会の折に亡き王妃さまが始められた遊びですが、今年もどなたが言い出したのでしょう」
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