天槍のユニカ



家族の事情(11)

「騎士殿には我が近衛の徽章を受け取って頂こう。あとで私からご挨拶したい。お招きする用意を」
 侍従がその手配に向かう気配を感じながら、エッカルトは城の中に消えていく王女一行の後ろ姿を見送った。
 形だけでも、あの若い騎士には釘を刺しておかねばなるまい。
 政略婚とは面倒なものだ。王族として生まれたからにはどうしても受け入れなければならない運命だとはいえ、主君の家から嫁いでくる妻ほど扱いに気を遣うものはない。
 王女の姿が見えなくなると、エッカルトの脳裡を占めるのは幼い頃から想いを通わせてきたヴィルマの顔だった。
 王女とエッカルトの婚姻を受け入れるし、エッカルトが自分を愛してくれていることを信じ続けると言った、気丈な娘。
 どこか浮き世離れした美しさの王女より、彼は生身の人間らしい幼馴染みの娘の方が愛おしかった。それはこの先、十日後に行われる婚礼の儀式を済ませたあとも変わることはないだろう。
 ならばせめて、王女が公国で暮らしていくにあたって不自由がないように計らってやらなければ。あの騎士や小姓の少年が傍にいることで心が安らぐというのなら、それも許そう。
(王女の胎(はら)から、我が国の世継ぎさえ生まれればいいのだから)
 その考えがやがて自分の妻になる少女を孤独にさせることは分かってはいたが、エッカルトは彼女を愛そうとは思っていなかった。
 そして王女もそんな彼の心中を察していたのか、婚礼の夜、彼女はエッカルトに触れられることを拒んだ。
 初夜を迎える夫婦のために焚かれた不快な甘みの香が、薄紫の煙をたなびかせる暗い部屋の中。寝間着姿で寝台の縁に腰掛けたままハイデマリーは言った。
「わたくしが公子さまの御子をお産みすることはないと思いますわ」
 陽の光の下で皆を魅了した清らかな美しさ、夏の女神に例えられる涼しげな美貌はそこにはなく、揺らぐ影を宿した妖艶な女がエッカルトの目の前にいた。
「……異国の環境にまだ慣れていないのだろう。私も無理は言わない。時間をかけて、緊張をといてゆけばよろしい」
 ハイデマリーは目を細めて笑うばかりだった。
 緊張? エッカルトは己が口にした言葉に疑問を抱く。
 目の前にいる女のどこにそんなものがある? 怯えた様子も、役目を果たせず申し訳なさそうな様子もない。王女という身分で臣下の家の継嗣であるエッカルトを見下しているのとも違う。
 彼女は自分が言いたいことを言ったきり、エッカルトのことを見ていなかった。薄暗い橙色の闇の中、夢を見るような目で、立ち尽くすエッカルトの向こうを見つめている。
 ヴィルマという存在がなければあるいは、エッカルトはハイデマリーのこの態度を追求したのかも知れない。けれど彼もまたこの婚姻に冷めた思いしか抱いていなかった。
 エッカルトは適当な理由を考えて夫婦の寝室を去り、以降も彼を拒むハイデマリーに無理に触れようとはしなかった。

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