天槍のユニカ



秘密の蓋(13)

 彼らなりの気遣いなのだろうか、時折アーベライン伯爵やベッセル外務卿がレオノーレに話題を振る。これまではそれにもほとんど応じなかったレオノーレだったが、今回はゆっくりと顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「あら、本当ですかアーベライン伯爵。ではクルト様もお誘いして遠乗りにでもお出かけしましょうか。クルト様も、荒馬を乗り込ますのはお得意だと聞きましたわ」
 突然、甥の名前を出されたアーベライン伯爵は戸惑う。先日、正式に合いもしない内にレオノーレに結婚を断られたのが、その甥だからだ。
「はは、しかし、どうも我が甥は殿下のお気に召さなかったようでございますが……」
「ええ、出来ればもう二度とお顔を見たくはありません」
 事情が分からない話を聞いていても仕方が無い。ユニカはそう思って渋い葡萄酒を舐めるように飲んでいた。飲むなら水の方がましだ。でもこういう席でただの冷水が出されることはないので、我慢して、教えられた通りに半分は杯の中身を減らさなければ。そう集中していたにも関わらず、レオノーレの悪意に満ちた声が耳に入り込んできて、思わず噎せそうになる。
「レオ」
 諫めたのはディルクだ。優しくたしなめる口調ではなく、明らかに妹を批難する声だった。
 アーベライン伯爵は不愉快そうに顔を顰めている。渦中にいないユニカさえはらはらした。エルツェ公爵はこの場を収める冗句を探しているようだったが、結局先に口を開いたのはレオノーレだった。
「ですが自信たっぷりに仰っていたから気になってしまって。クルト様がどれくらい気性の荒い馬を乗りこなせるのか、見てみたいわ。わたくしのようなじゃじゃ馬でも、上に乗れば大人しくさせられると、笑いながらそう仰っていたのですもの」
 レオノーレの唇はあでやかに笑んでいたが、青い瞳は燃えるような怒りでぎらついていた。誰もが食事の手を止めてしまう。
「上に乗る? まるで娼婦に対する物言いね。わたくしは寝所で組み敷くための女ではありませんわ。――少なくともわたくし自身はそうだと思っています。でもシヴィロの殿方は皆そう思っては下さらないのかしら。陛下の懐剣ともあろう方の甥御様が、大公の娘をそんな風に評していらっしゃるのだもの、公女とはその程度のものでしょうか」
 アーベライン伯爵を睨みつけていたその瞳は、すいと泳いでユニカに向けられた――と思ったのは一瞬のことで、レオノーレが次に矛先を向けたのは、ユニカの左手に座る王だった。
「それとも、わたくしが陛下の妹君の胎から生まれた娘ではないから、あんな屈辱的な喩えをされなければいけませんの?」
「レオ――」
 更に強い口調でディルクが妹を叱ろうと口を開く。が、王は静かに手を挙げてそれを制した。
「姫は大公家の血を継ぐ、紛う方無き我が王家の血族(うがら)と言えよう。軽んじることなどあってはならん」
「陛下が本当にそうお考えだとは、わたくしには思えません。もちろんアーベライン伯爵も。陛下や伯爵は目障りだと思っていらっしゃるわ。父上の裏切りの証として生まれた、わたくしやエイルリヒのことをね」
 王の重々しい言葉、間髪容れずにそれを否定するレオノーレの剣呑な言葉。
「陛下も、ディルクを疎んじた父上と同じだわ。あなた方がそんなんだから、シヴィロとウゼロの関係はおかしくなってしまったのよ」
 何かが爆ぜる寸前まで膨れあがっている、そんな嫌な気配。
 とどめを刺すようなレオノーレの言葉は、広間を一切の無音に変えてしまった。エルツェ公爵がついた小さな溜息さえ、その沈黙に掻き消されてしまう。
 それを破ったのは王が席を立つ音で――怒りも露わに広間から立ち去る彼を、誰も、ディルクですら追おうとしなかった。






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