天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(7)

 沈黙が落ちる。馬車の速度はゆるむことなく、併走する騎士の気配もぴったりとついてくる。もうそろそろ王城に到着する頃だろう。追っ手は、終ぞ無さそうだ。
 すると突然、レオノーレが威嚇する狼のような声で唸りながら頭を抱え、髪をかき回し始めた。ばっと顔を上げた彼女はユニカと伯爵夫人を睨んだ後、長い長い溜息を吐く。朱金のゆるい巻き髪がぼさぼさと跳ねて、また別の迫力が生まれる。
「どうやら無事帰ることが出来そうだけど、まずいわね、すごくまずいわ」
「何が?」
「無事だったとは言え、あなたの身に危険が及びそうになったってことをディルクに報告しなくちゃいけない」
 ユニカも、レオノーレが何を恐れているのか分かった。思わずうっと息を呑む。あの男のことを説明するには、真夜中に王城を抜け出し、本来は取り締まりの対象であるような芝居を見に行ったと余すことなく説明しなくてはならない。王都アマリアにおいては夜間の一定の時刻を過ぎれば外出禁止だ。現在の時刻を正確に知ることは出来ないが、法に定められた刻限などとっくに過ぎているであろう。いくつ決まり事を破って外へ出、危険な目に遭ったのか……まずは、軽率な行動の数々を咎められるに違いない。
 ユニカやレオノーレ、クレマー伯爵夫人だけでなく、護衛についてくれた騎士や馭者、外出を手伝ったと見なされてそれぞれの侍女たちも処罰されるだろう。つまるところ、非常におおごとになる。
 ゴトゴトと、馬車が低い段差をいくつも乗り越えるのが分かった。これと同じ揺れは数時間前に体験している。一番外の城門をくぐり、王城の外郭へ入ったのだ。後ろで鉄門扉の閉まる耳障りな音が響くと、ユニカとレオノーレの緊張は高まった。
「私もなんともありませんし、このまま何も無かったことにしても……」
 ユニカは恐る恐る切り出した。出かけたくて出かけたわけではないが、断りきれなかったのは自分だし、侍女たちや騎士だって王家の姫と公女の命令に背けるはずがない。それが彼女らのわがままを見過ごしたという理由で処罰されるのは、法に則った話とは言え理不尽だ。王族の考え方が出来ないユニカはそう思った。それに自分のせいで他者が罰せられるというのは怖かった。そんなものに責任を持つ覚悟なんて一つも出来ていない。
 しかしレオノーレは駄目だと首を振る。
「また襲われることがあったらどうするの。兵を指揮しているのはディルクなんだから、もしものことがあればディルクが下手≠ネんだと思われるわ。ちゃんと相談して対策を立てないと、って……、あなたの警護にはあたしの騎士を使うって話だったわね……」
 馬車が徐々に速度を落とす中、ユニカには公女が不意に口を噤んだように見えた。口許に手を当てて思案する彼女の声が最後までは聞こえなかったのだ。
 先ほどまで止んでいた雪が再びちらつき始めている。上空では城の塔にぶつかった風がひゅうひゅうと鳴きながら駆けていた。また、明朝までに天気が荒れそうだ。雪の上にうっすらと残っていた轍も新たに降り積もる雪が隠してくれるだろう。
「上まではわたくしがお送りするわ」
 馬車を降りると、長剣を手にしたレオノーレと騎士の一人がすかさず近寄ってくる。レオノーレは剣を手にしてこそいるものの、その口調には許の優雅さが戻っていた。笑みも公女の仕様だ。

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