天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(6)

「追っ手もかけられてないし待ち伏せもなさそう。でもこの先にいるかも知れないものね。あたしと騎士二人で始末できる人数ならいいけど。まいったわね、あと二人は連れてくればよかった」
「あの、公女さまはなぜ剣をお持ちなのですか?」
 今の発言では、まるで万一の時には彼女も闘うというふうに聞こえる。しかもさっきは、実際に荒々しくも素晴らしい太刀筋を披露していた。怪訝に思ったユニカが問うと、レオノーレは少し驚いたあとことも無げに答えた。
「あたしも騎士だもの。当然でしょう。まさか知らなかったの?」
 目を点にするユニカ。レオノーレはドレスの裾を大きくめくり上げる。下着が露わになるのも気にしない。肌着に包まれた彼女の左の大腿には黒いベルトでホルダーが巻き付けられており、どうやらそこに剣を括り付けていたらしい。確かに、レオノーレが持っているのは長剣と言うには短く、短剣と言うには少々長い、中途半端な長さの細い剣だ。
「ちゃんと長いのもあるのよ」
 そう言って彼女は座席の下を探り始める。すると、がこん、と何かの蓋を外すような音がした。次に身体を起こしたレオノーレは、金の装飾も美しい鞘の長剣を持っていた。
「あたしが剣を振り回す女だって知らない人間に会ったのは、久しぶりだわ」
「あ、え、っと……ごめんなさい、貴族の方々の事情には詳しくなくて……」
 そう言うしかないし、ディルクからレオノーレを紹介されたときには一言もそんなことを言っていなかった。勝ち気で気性の激しそうな姫君だとは思っていたが、まさか貴族の女性が剣を握るなんて。いや、歴史を遡ればそんな女性がいなかったわけでもないが、ああいうのはほとんどが事実かどうか分からない伝説だ。だから実際に剣を振るう姫君をこの目で見ても、容易には理解できない。
 ユニカも目を丸くして驚けば、レオノーレも珍しそうにユニカを見つめた。しかし車輪が石を踏んだのか、馬車が一つ大きく揺れた途端、レオノーレは再び神経を張り詰めた表情に戻った。その横顔は、まるで武人≠ナはなく本当に武人だったということだ。
 ユニカは「ううん……」と唸った伯爵夫人を抱え直した。目を覚ますのかと思ったが、まだのようだ。気を失ったのをきっかけに寝ているだけなのではないかとも思えてくる。真夜中だし。
「待ち伏せが無いとしたら、いったい何が目的だったのかしら。あなたを殺すつもりならもうとっくに馬車を囲まれてるでしょうからね」
「分かりませんが、あの場で命が危うくなるような暴力を振るわれる感じはしませんでした」
 窓の外を覗いていたレオノーレが、眼球だけを動かしてユニカを見てくる。
「そうね確かに。連れて行こうとしてる=Aそんな印象だったわ」
 ユニカは公女の言葉に肯いた。思い出すと背中がぞっとする。知らない男の匂いも体温も、手首を捕まれた感触も気持ち悪い。けれど害意はさほど感じなかった。刃物を振りかざした騎士たちの殺気にさらされたときは、それだけで心臓を裂かれるような心地がした。それがあの男には無かったもの。

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