天槍のユニカ



傷口と鏡の裏U(3)

 閑散としたホールには、大きく開け放した入り口から冷たい風とちらつく雪が舞い込んでくる。寒さを思い出したユニカは肩を抱きしめて縮こまる。
「王家の姫君?」
 すると突然、背後から声を掛けられた。驚き、飛び退くように寄りかかっていた柱から離れる。声の主は美しい布で飾った柱の陰に隠れるようにして立っていた。半分闇に隠れているが、出で立ちは貴族の男だ。
 他の貴族やユニカがそうしているように、彼もまた顔を隠していた。円いつばの帽子を深く被り、鼻から上を覆う仮面を着けていて、口許が笑んでいることだけが分かる。
 彼は闇の中から出てきて、おもむろにユニカの右手を取った。
「お会いできて光栄です」
 ユニカは王家の身分を示すものなど何も身につけていない。しかし相手には確信があるらしい。彼女が返事をしていないにも関わらず、男は軽く握ったユニカの手に手套の上から口づけを落とした。無駄のない所作。とろけるように甘い声は、まだ若い。
「……誰?」
 問うても、男からの返答は無かった。彼は軽く腰を折ったまま、上目遣いにユニカを見つめてくる。仮面にくり抜かれた穴から目が見えるだけなので、眉や鼻の形も分からず、薄暗いから瞳の色さえ判別しづらい。
 顔も見せない上に名乗らないなんておかしい。警戒心を露わに、ユニカは握られた手を引き抜こうとする。男はさしたる抵抗もなくユニカの手を離した。しかし。
 一度離れた彼の手が伸びてくる。今し方の恭しい手つきなど忘れたように、無骨な指はユニカの手首を荒々しく掴んだ。
「……っ」
 軽い痛みを覚えるほどの握力だ。身の危険を感じその手を振り払おうとするが、男の指はびくともしなかった。そしてそちらに気を取られている内に、男の腕がユニカの肩を抱きかかえる。
 知らない香水の香りと、馴染みの無い体温に身体を包み込まれた。何が起こっているのか分からずユニカが目を瞬かせている内に、彼女の肩を抱えた男は己の外套でユニカを隠すようにして柱の陰に入り込もうとする。いや、違う。更にその向こうの廊下を伝って、歌劇場の奥へ向かおうとしている。
 これは、なんだ、この男は誰だ? どこへ行こうとしているのか。
 驚きと混乱で目の前が白黒した。足がもつれそうになっても、強い力で身体を支えられているおかげで、まるで男に従うように歩いてしまう。
 しかし、ホールの一番端の灯りの下を通り過ぎたとき、彼らの歩みは突然止まった。ひゅっと空気を切り裂いて目の前を横切った銀の刃が、二人の行く手を阻んだのだ。
「その方はわたくしの連れですわ。手を放して頂ける?」
 心許ない灯火を浴びてきらめいたのは細身の剣だ。柄を握っているのはレオノーレ。一厘のぶれも無く水平に構えられた刃は、男の脇から突き出されている。その反対側に抱きかかえられていたユニカはやっと我に返ってもがき、男の腕から抜け出した。

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