天槍のユニカ



傷口と鏡の裏(11)

「やくそく……?」
 まるで覚えがない。
 というか、どうやって西の宮まで入ってきたのだろう。夜間になると王族が住む内郭の門は閉ざされ、外郭の迎賓館に滞在する公女が出入りできるはずはないのだが。いや、考えるだけ無駄か。彼女の勢いを止められる衛兵がいるとは思えない。
「覚えていらっしゃらない? 昨日のサロンでクレマー伯爵夫人とお話ししてたのを。『面白そう』って、ユニカ様は仰っていたでしょう? だから一緒に見に行こうと思って」
 部屋をさがろうとしていたディディエン、リータ、フラレイを捕まえ、ユニカに出かける支度をさせるよう命じる傍ら、レオノーレはにっこり笑って言う。
 それのどこが約束? ユニカは更にせわしなく目を瞬かせる。
「お忍びだから顔を隠すものを用意するのよ! あと温かい外套も出して」
 侍女への命令を連ねながら、レオノーレは呆然としているユニカを引っ張って行って衣装部屋に押し込めた。
「なるべく地味な衣装を選んで下さいな。夜闇に紛れ込めるような」
 扉の向こうから聞こえる弾んだ声に、ユニカは侍女たちと顔を見合わせながら首を傾げる。
 地味な衣装。レオノーレの赤いドレスは、充分華やかだったと思うのだが。



 しかし夜の中に繰り出してみると、暗い赤色は存外闇に溶け込むのだなと言うことが分かった。
 分かったのはいいけれど、そもそもどうして自分がベッドの中にいるのではなく、内郭の門から出ているのかが解せない。
 小雪の舞う中、ランプを手に提げたレオノーレと一緒に結構な距離を歩き、ユニカは迎賓館までやって来た。そこには先日のサロンで紹介されたクレマー伯爵夫人が待ち構えており、彼女の姿を見つけたレオノーレが嬉しそうに手を振る。
「では参りましょうか」
「帰りの話はつけてあるの?」
「もちろん、ぬかりなく」
 三十代半ばの伯爵夫人は、レオノーレと額を突き合わせるようにしてくすくすと笑い合い、用意してあった輿に乗るよう促してきた。
 まだ状況が分かっていないユニカを連れ、彼女らは城を降りる。その先に今度は馬車が待っていて、三人は夜の街へと繰り出した。
「楽しいわね! こういうの大好きよ!」
 侍女も連れてきていない。騎士が二名、馬車を追ってくるだけの内緒の外出だ。
 ユニカは不安で黙っていたが、馬車が水気を含んだ雪を跳ね上げ走り出すと、レオノーレはヴェールを脱ぎ去って半ば叫ぶように言った。
「ユニカ様、ヘルミーネ様や王太子殿下には内緒ですよ」
 伯爵夫人も目を輝かせている。小さなランプの光に顔を寄せて言うその表情は、まるでいたずらを働く少女のようだ。

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