傷口と鏡の裏(10)
いや、そもそも彼らは人目にさらされることに慣れているし、そうすることで得るものをしっかりと得ている。あの二人を参考にするのは、今のところユニカには無理だった。
宴に出ても、ユニカはエルツェ公爵かヘルミーネ夫人の隣に座っているだけだ。そして時々好奇心を露わにした貴族が寄って来れば、どうにか決まった挨拶の台詞を口に出来るようにはなってきた。
しかし、数百という視線にさらされて、毅然と顔を上げていることはまだ出来ない。肩をすくめて小さくなり、ずっと全身を緊張させているから疲れもする。
そうしてどんどん気落ちしていくユニカを見かね、今日は公爵夫人が『何もない日』にしてくれたのだった。
予定が何もない。誰にも会わなくていい。好きなだけ本を読んで、レースを編んで、エリーアスに宛てた手紙を書いたりしていてもいいのだ。素晴らしい。
以前はそれが当たり前で、一日は大変長かった。だというのに、今日はあっという間に日が暮れてしまった。それも、昨日までに溜まった疲労を癒やすため、日がな一日うとうとしたりぼーっとしたりしている内に。
びっくりし、焦っているともう就寝の時間である。なんてもったいないことをしたのだろう。
明日の午前は公爵夫人の友人を集めたサロンに参加し、午からは王が主催する昼食会に出る。
今日のようにだらだらしていることは出来ない。だからしっかり寝ておかないと。
そう自分に言い聞かせながら、ユニカはディディエンが用意してくれた温かい葡萄酒を飲んでいる。
シロップや果物、スパイスを一緒に入れて温める葡萄酒の飲み方は、王妃の友人だったというさる貴婦人から教えて貰った。普通の葡萄酒は苦手だが、これは美味しい。
こういう発見があるなら、サロンに出るのもまるっきり嫌ではない。
まだまともな会話にならないほどユニカは緊張しているが、ヘルミーネの人選はユニカにとって適切で、会う貴婦人はみんな気さくだ。おどおどするユニカを珍しそうに見るものの、それだけだった。あとは社交慣れしていない娘へ、色々なことを教えるのに楽しみを見出しているらしい。
彼女らに会うのが楽しみとまではいかないものの、宴席よりはましだ。行こう、とは思える。
甘い葡萄酒で身体を温め、ユニカが明日に備えて寝る決意を固めたところ。
貴重だった平和なはずの一日は、平和なままでは終わらない。嵐のような彼女がやって来たのだ。
「なぜ寝る準備なんかなさっているの?」
血のように深い赤のドレスで着飾ったレオノーレは、侍女たちに止める隙も与えず寝室に押し入ってくる。被っていた黒いレースのヴェールをはね除けると、ベッドに腰掛け目をぱちくりさせているユニカを傲然と見下ろした。
「お芝居を見に行く約束ですわよ?」
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