天槍のユニカ



夜の片隅で(15)

 指先と一緒に滑るディルクの真剣な眼差しに耐えかね、ユニカは顔を背ける。
「殿下には、妃として選ばなければならない本物の貴族の姫君が、大勢用意されているでしょう。私ではなく、彼女たちから誰かを選んで頷かせるべきだわ」
「……君がいい」
 言葉で突き放そうとすれば、今度は手を取り上げられた。薄い手袋の上から、柔らかいものを押しつけられたのがはっきりと分かる。
「どうして。珍しい力を持った娘でなくては嫌だとでも?」
「さあね。君の力に興味が無いと言えば嘘になるが……ただ、君が震えずに済むようにしたい。悲しみにも寂しさにも、恐怖にも、寒さにも」
 ディルクの指に、きゅ、と力がこもる。ユニカがその手を引き抜こうとするよりわずかに早く。
「私は……」
 そんなに弱くない。
 言おうとしたが、急に喉が苦しくなり、声が出なかった。
 今更虚勢を張っても無駄だ。
 何度助けられ、守られ、導かれたことか。
「そのために、傍にいてあげたい」
 ユニカの指先をも温めるように、彼は手の甲に口づけたまま言う。
 とても怖くなった。
 赤の他人であるディルクに、まだ出会って間もない彼に、弱さを見せてしまっていたことが。
 いつの間にか、はらはらと熱い雫が頬を転がっていた。
 それに気がついたディルクは指先でユニカの涙を拭い、やがてその目許に口づけ、止めどなく溢れてくる雫を直に吸い取る。
 そのまま抱き寄せられても拒むことが出来ず、ユニカは彼の腕の中で顔を覆いながら、声を堪えて泣いた。
 泣くことなどないのに、と思う。弱みを見せていても、ユニカはまだ一人で立っていられる。
 けれど誰かの温かい手を、握りたいときがある。自分から手を伸ばせずにいるユニカの手を、ディルクは強引にでも掴んでくれるのだ。
 だから涙が出るのだろうか。
「ユニカ様、木苺のジュースがありました! お好きでしたよね――?」
 感傷は突如打ち砕かれ、背中に冷水を浴びせられた心地でユニカは顔を上げる。するとディルクの腕越しに、重そうなデカンタを抱えて硬直するディディエンの姿が見えた。扉を片手で開け放したまま、彼女は大きく目を瞠って立ち尽くしている。
「ありがとう、そこへ置いて。……すぐに戻るよ」
「――はい」
 呆然としていた少女は、デカンタをテーブルに置くなり、我に返って真っ赤になりながら部屋を飛び出していく。
「ノックも忘れるとは。一生懸命でいい侍女ではあるけど……」
 耳許でディルクが笑った途端、ユニカの思考も現実へと舞い戻ってきた。
「……っ放して!」
 思い切り藻掻いたつもりだったが、やはり膂力では彼に敵わないらしい。逆に身動きがとれないほどの力で腕の中に閉じ込められ、ユニカは愕然とする。
「ユニカが頷いてくれるまで、放さないことにしようか」
 その囁きは、目眩がするほど甘く妖しい響きだった。






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