天槍のユニカ



夜の片隅で(14)

 けれどユニカを庇うディルクのことを、臣下たちはどんな風に見るだろう。
 よく評価されるとは思えなかった。
 こんなに王家の行く末を気にしたことなど無かったし、するつもりも無かったのに。
 ユニカが深い憂いを孕んだ溜息を吐いたその瞬間、ディルクの腕が肩へと回される。そっと引き寄せられるまま彼の方へと身体が傾き、もう一方の腕が背中に添えられるのが分かった。
「……! ちょ、ちょっと……!」
「心細そうな顔をされると、抱きしめたくなる」
 視界いっぱいに広がるのは、ディルクの衣装の胸元を飾っている豪華な金糸の刺繍。
 額に触れる唇から零れてきた声は低くかすれていて、その熱っぽさに身体が竦んだ。
 背筋を強ばらせたユニカを安心させようとしているのか、大きな掌がそっと背中をさする。しかしその手の力加減や温かさに、却って落ち着かなくなるばかりだ。まるで自分の身体の線をなぞられている心地がした。
 ややもしないうちに肩を抱き寄せる腕の力がわずかに緩んだので、ユニカはすかさずディルクから距離を置く。
 けれど離れられたのは一瞬だけだった。
 肩からうなじを這い上ったディルクの手に、再びぐっと引き寄せられる。
 そして、目の前に形の良い唇が迫るのをはっきりと見た。
「……」
 ふわりと薔薇の香りが広がる。扇子に染み込ませてあった香水の香りだ。
「……そんなに嫌だったのか」
 咄嗟にかざした扇子の向こうで、不満げに唸る声が聞こえる。ユニカを捕らえた腕の力は一向に弛まないので、まだこの手を下ろすわけにはいかない。
「お、おかしいわ、こんなの。私はあなたの求婚を断ったし、あなたの恋人でも愛人でもないのよ」
 口づけを交わす夫婦や恋人たちが登場する物語はいくつも読んだ。ここ最近では、ディルクに買って貰った恋愛小説も読んだ。だからユニカだって知っている。
 口づけは、愛情や好意を確かめたり伝えたりするために交わすものだが、まだ想いが実ってもいないのにこういう行為に及ぶのは、とんでもなく強引だし無礼だ。
 何度か唇を許してしまったことを思い出すと顔から火が出そうだが、それに関しても遡って怒る権利が自分にはあるはずだ。
 と、悶々とする傍ら読み終えた小説のヒロインを思い出しながら、ユニカは思った。
 その主張はディルクに受け入れられたらしい。無言のまま、彼は腕を弛める。
 そっと扇子をどけてみれば、まだ随分近いところに青緑の瞳が並んでいた。しかし再度レースの障壁を打ち立てるには申し訳ないほど、彼は拗ねた顔をしていた。
「だったら、なおのこと諦めるわけにはいかなくなったな。君を頷かせないと、これ以上は触れることも出来ないわけか」
 そして呟きながら、ユニカの頬をゆっくりと撫でる。おとがいの線をたどり、ひんやりとした親指の先が、緊張気味に引き結ばれていたユニカの唇をなぞった。

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