天槍のユニカ



夜の片隅で(1)

第二話 夜の片隅で


 挨拶にやってきたエルツェ公爵の息子二人と別れ、ディルクはざわめく夜会の会場を見渡した。
 どこから向けられているかも分からない、無数の視線が頬を掠める。会場の誰もが「王太子殿下に一言ご挨拶申し上げたい」と目論んでいるのだ。
 ディルクに来る者を拒むつもりは無かったが、彼の許を訪れる次の人物は、すぐには現れなかった。貴族たちが互いに牽制し合っているせいだろう。自分より格下の者が先にディルクの傍へ寄ることは許せないし、自分より高位の者を出し抜いてディルクに声をかけ、後々の禍根を作るのも怖い。
 臣下たちの複雑な心境に構ってやることはないと思いつつ、彼は一度自分の席へ戻った。その途中、椅子の傍に控えていたルウェルが大あくびをしていたので、眠気覚ましにと思い切り爪先を踏みつけてやる。
「ぎゃあ!」
 衆目を集めながら悶絶する騎士を睥睨し、ディルクは渇いた喉を潤すためにごくごくと葡萄酒を呷った。
「ひ、ひで……今朝何時に起きたと思ってんだよ!」
「俺だって暗いうちから起きてる。あくびをするならせめて口をふさげ。それかあっちを向け」
 肩越しに毒づいた直後には、もう鷹揚な微笑みをたたえて、次に声をかけたい奴は来いと構えるディルク。彼と王が今日こなすべき仕事はそれだけだった。こんな機会でもなければ、王族と直接話すことの出来ない者たちに自分を解放すること。
 そしてシヴィロ王国の貴族社会に参入したばかりのディルクとしても、出来るだけ多くの貴族に渡りをつけておきたいので、休んでいる暇は無い。社交はそれなりに得意なつもりだから苦にならないが、ただ、今夜は気がかりがあって人々の様子を観察することに集中できなかった。
 グラスの縁に口をつけたまま、やはり彼は会場を見遣る。行き交う人々の間隙を縫い、可能な限り視野を広げて彼女を探す。
 しかし煌びやかな衣装の波の中に、その姿は見つけられない。否応なしに目立つはずだから、やはりまだ会場には現れていないようだ。
(出てくるのは無理、かな……)
 式典を終え、退出するユニカの横顔は蒼白だった。弩で狙われた時よりも更に怯えていたように思う。彼女に注目する人間の数は審問会より桁違いに多く、その視線にこもる感情も様々に過ぎて、とてもユニカには受け止めきれなかったらしい。
 今日はエルツェ公爵夫人がユニカに付き添ってくれる約束だったが、俺も迎えに行ってやるべきか。
 そう考えるものの、彼女の控え室まで行っているほどの時間、会場を離れることは難しそうだ。どうしたものかなと思案しながら、ディルクはグラスに残った葡萄酒を一息に飲み干す。
 とその時、会場の一角が静かにざわめいた。あたりの気配を窺っていた彼は敏感にそれを感じ取る。

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