天槍のユニカ



幕間1(1)

幕間−1−


「陛下と和解しろとは言わない」
 薔薇とお茶の甘い香りに包まれながら、ユニカは青緑の双玉を見上げた。
 頬に添えられていたディルクの手がゆっくりと滑り、薔薇と同じ色をしたユニカの唇を親指の先で二、三度撫でる。
 これが挨拶や信愛を示すためのキスでないことくらい、ユニカにも分かった。分かった途端、羞恥が驚きを超える。彼女は我に返り、必死でディルクの胸を押し返しながら身体を捩った。
 先程よりはっきりした抵抗を示されると、彼はあっけなく腕を解いた。しかし逃げようとしたユニカの手を掴み、東屋の外へ出ることは許さない。
「もし八年前の夏に時間が戻っても、陛下は同じ選択をなさるだろう。きっと後悔もなさっていない。陛下がお選びになった答えによって、どれだけの民が死んでいったのかも分かっていらっしゃる。陛下はそれを背負っていける王なんだ。君がいくら傍で恨み言を呟いても無駄だ。誰の心も救われないし、報われない。それでもここでしか生きていけないと言うのなら、俺が君を守ろう。だから陛下との『約束』は忘れるんだ」
 熱のこもった言葉は否応なしに心を揺さぶった。
 ユニカが認めたくなかったことを、エリーアスやクレスツェンツでさえ口に出さないでいてくれた言葉を、ディルクは容赦なく突き付けてくる。
「嫌よ。私は、報われたくてここにいるんじゃないわ。陛下が憎いのよ。私達を見捨てた陛下や貴族達がみんな憎いの。陛下を殺せば私の気持ちは晴れるの、それで良いのよ、放っておいて!」
 傍にティアナがいることも忘れ、繋がれていた手を振り解きながらユニカは叫んだ。
 美しく不思議な色の瞳が悲しげに曇るのを見て、心が痛まないわけではない。彼がチーゼル卿の陰謀からユニカを、まさに身を挺して守ってくれたことも分かっている。
 けれど彼は、ユニカの心のあまりに深いところに触れてきた。赤く濡れたままの傷口に手を伸ばしてきた。まだ誰にも触れて欲しくないところへ。
「残念でしたわね殿下。物珍しい異能の娘を、愛人に出来る機会だとでもお思いになった? でもやめておいた方がよろしいわ。私はあなたが思っているよりずっと――」
 一瞬眉根を寄せたディルクは、ユニカが言い終わらない内に彼女の前に跪く。
「ずっと、何だって? 呪わしい? 罪深い? ……何とでも言えばいい。俺が君を守ると言ったのは、君が抱えるものすべてを共に負う覚悟をしたからだ」
 そう言うディルクの声は、思いが伝わらないことへの苛立ちを多分に含んでいた。彼は跪いたままユニカを見上げ、自身の左手にはまっていた指輪を抜き取る。サファイアに、金の有翼獅子が象嵌されたソリテールの指輪、王家の身分を示すその指輪を。
「愛妾としてでも、儀礼上のコンパニオンとしてでもなく、妃として君を迎えたい」
 そして、冷たいほど落ち着き払った声で彼は言った。その言葉とともに、ディルクは王家の指輪をユニカの手に握らせる。
「な、何を仰っているの……!? 私は本当の王族でもなければ貴族ですらないのよ!?」
 小さな宝石のはずだが、指輪を握った右手が急に重たくなった気がした。いや、重いのはディルクの言葉だ。彼にふざけた様子がまったくないのでユニカは焦る。この青年は自分の発言の意味や王太子という立場を分かっているのだろうか。

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