天槍のユニカ



ゆきどけの音(2)

「さてと。物足りないが別れの挨拶は済んだことだし、私は職務に戻るとしよう。女伯、ユニカの新しい部屋は母の部屋になるのか?」
「はい、陛下のお許しは頂いておりますが、公妃様の持ち物もいくつか残っていたようなので、それらはいったん別室に。御覧になりますか? 保管すべきものがあるならば殿下に選り分けて頂きたいのですが」
「あの方は他家に嫁いで王家を出た。残しておくべきものなど何一つ無い。すべて棄てろ」
「は……」
 いやに圧力のある命令に、エリュゼは思わず膝を折った。しかしディルクは、そんな威圧的な声音など嘘であったかのようににこやかに振り返る。
「部屋にあった調度類も惜しむことはない。全部ユニカのために入れ替えるといい。カーテンや絨毯もすべてだ。エルツェ公が渋るようなら金は私が出すから、すべて。いいな」
「はい、しかし、二十数年使われていなかったとは言ってもチェストや机は大変よい品でした。装飾もきっとユニカ様のお好みに合いますし、ただ今磨き直させておりますので、それらは――」
「同じものを作らせろ。古いものはすべて棄てるんだ。これは助言や提案ではない、命令だ。そう心得よ、プラネルト女伯」
 穏やかな口調と微笑に反して、ディルクの青緑の瞳は一つも笑んでいなかった。公妃ハイデマリーと同じ色のその瞳は、凍り付いた湖のように光を吸い込み、渦巻く感情でどこか淀んでいる。
「……畏まりました」
 そう答えざるを得なかったエリュゼを睥睨し、王太子は満足げに一つ頷いた。そして引っ越しを手伝う自分の侍女たちに、明日まではユニカの世話をするよう言いつけて部屋を出て行った。



**********

 ユニカはいつ寝室から出てくるや分からない。これでは引っ越しも頓挫しそうだ――とエリュゼは危ぶんでいたのだが、王太子が去った後、その気配を察したかのようにユニカは寝室から顔を覗かせた。
「帰った?」
「王太子殿下なら、今ほどお帰りに」
 エリュゼの返答を聞いたユニカは、抱えていた刺繍布を彼女にずいと差し出し、早くここを立ち退こうと急かした。
 理由は分からないがそう言うわけで無事、午を過ぎた頃には、ユニカの一行は西の宮へ移っていた。
「ここは私の部屋ではないわ」
 そして新しい部屋に案内されたユニカは、怪訝そうな顔でまずそう言った。
 作りは以前住んでいたところと大差ないが、新しい部屋は全体的に広い。主室のバルコニーは南に面し、雲の切れ間から覗いた太陽がぽかぽかと部屋を暖めている。バルコニーからは西の宮の主庭園へ降りることが出来た。今は雪に埋まっているが、計算され尽くした美しい配置の花壇に歩道、噴水もあるし、東屋もあった。

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