天槍のユニカ



蝶の羽ばたき(4)

 殺気立っていると言ってもいい、怒りの滲んだエリーアスの声に、ユニカは微かに首を竦めた。
「私なら大丈夫よ。そう簡単には殺されないもの。さっきだって……」
 恐怖が極限に達すると、『天槍』が弾ける。理性で制限できるところを超えてしまうと、ユニカにもどうにも出来ない。これは、彼女がいくつかの経験の中で分析した結果だが、間違ってはいまい。それ故、ユニカを攻撃する者が彼女にとどめを刺すことは困難だ。
 ユニカの首を刎ねようとした兵士は無事だろうか。怪我で済んでいればいいと思う。殺されかけたとはいえ、殺すのは不本意だった。
「ここは危ない。王妃様が生きていらした頃とは違う。今日はっきり分かった」
「確かに今は少し騒がしいけど、いつもこんなんじゃないわ」
「毒を盛られたのはいつだ。何故俺に言わない?」
「……二、三日で体調も良くなるくらいだったから、心配させることはないと思って」
 今日のように分かりやすく命を狙われ始めたのは、王太子がこの国に迎えられてからあとの話である。王妃クレスツェンツが崩御したあと、急激にユニカの安全が脅かされたわけではない。彼女がいなくなったあとも、寂しくなったが、ずっと退屈で穏やかな日々が続いていたのだ。
 毒を盛られたことは、クレスツェンツが生きている間にもあったし、それを内緒にしていたのは、何もエリーアスに対してだけではなく、クレスツェンツに対してもだった。エリーアスも、クレスツェンツも、常にユニカの傍にいられるわけではなかったから、遠くにいて心配させるよりは何も知らせないでおこうと、ユニカが一人で決めた。絶対に言わないつもりだったのに。
 喋ってしまったのは、王太子だったか。ユニカから彼に教えた覚えも無いので、やはり彼はユニカの身の回りのことを調べ尽くしているようである。
「そういうのはやめろ。どうしたって、俺はお前が心配なんだよ」
 エリーアスの片腕が、遠慮がちに肩を抱きしめてきた。彼はますます強く額を押しつけてくるので、ユニカは後ろへ引っ張られているのに倒れることも出来ない。
「知っているわ……でも、」
 ユニカにとって、エリーアスは何もかもを打ち明けられる相手にはならないだろう。互いに、色々なことを知り、理解しているゆえに。
 慌ただしく扉を叩く音がしたので、エリーアスはさっとユニカから離れた。彼は返事をせずに扉を薄く開き、外にいるのが誰かを確かめる。相手がまずければ即座に閉められるよう、ぴたりと扉に身体を寄せて鍵にも手をかけていたが、ノックの音は刺客の第二陣ではなく、エリュゼを連れて戻ってきたフォルカだった。
「ユニカ様!」
 転がるように部屋に入ると、エリュゼは足をもつれさせて本当に転がりかける。よろけたものの何とか持ちこたえ、ユニカのもとへ辿り着いたが、座っていた彼女の膝に縋りつくようにして崩れ落ちた。
「え、エリュゼ……?」
 ユニカが知っているエリュゼは、こんな風に動揺したりはしない。いつも淡々と冷静に、侍女たちに仕事の指示を出す。それがどういうわけか、化粧が崩れるのも構わずに泣いていた。信じられない、とユニカは思う。

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