序章 葬送のあと
針の先からぽたぽたと止めどなく溢れる、血。
左腕に刺さった針、というより細い金属の管は、悪血を抜くための治療具だ。
娘は血を抜かれながら、赤い液体が小さな杯に溜まっていくのを仮面のような無表情で見ていた。
窓の外では、夜空に青白い光が明滅していた。夕方から遠くで雷が鳴りつづけているのだ。
こういう日は体調が悪い。うなじの産毛がずっと逆立っているし、脈が落ち着かず呼吸も浅くなり、時折無意識のうちに力≠ェ弾ける。
パリッと音を立てて血抜きの管に青い電流が走った。
全身を強ばらせて娘の血を抜いていた医女が短く悲鳴を上げると、彼女の手許が震え杯の中で血が波立つ。血は杯の縁を赤黒く汚し、医女の手にも飛び散った。
「ごめんなさい。雷が鳴っているからよ」
「は、はい……」
彼女は狼狽しながら杯を置いて、血抜きの管を娘の腕から抜き取った。
傷口にぷくりと血玉が盛り上がるが、それをぬぐい取ったあと、娘の肌には紫色の痣(あざ)が残っているだけで傷跡はない。
まくっていた袖を元に戻し、娘は傍らのテーブルに置いてあったソーダ水を飲んだ。
浮かない一日だった。
今日は夭逝した王子の葬儀に参列して、城から王家の葬祭堂までを練り歩いた。葬列の両脇から聞こえるすすり泣きの声がまだ耳の奥に残っている。葬儀が他人事であっただけに、娘にはその声が耳障りだった。
それにあの喪服の動きにくいこと。ふんだんに刺繍を施したヴェールで前は見えにくいし、用意されていた黒玉(ジェット)のイヤリングは大きくて耳が痛くなる。何度もそれらを取ってしまおうと思ったが、王の傍らに控える羽目になっていた娘にそれは実行出来なかった。
なぜ私が王子の葬列に加わる必要があったのだろう、と彼女はソーダ水を口に含みながら考える。
衣食住を保証してくれる王の求めであったから渋々参加したが、娘に王家との血縁はなかった。
昨年、数年前から体調を崩していた王妃が死に、先週には王子が落馬事故で首の骨を折って死んだ。城内に王の肉親はもういない。
「失礼いたします」
杯を銀のトレーに乗せ、医女はそろそろと退出していった。あれは王のところへ持って行かれる。
残った二人の侍女が寝台の中に温石を入れ暖炉の火を小さくしているのを横目に、娘は雷のくすぶる夜空を見にバルコニーへと出た。
城壁に重なるように、城下町の屋根が薄く雪化粧しているのが見える。
仄白く浮かび上がる街並み。
王子を送ったシヴィロ王国。
世継ぎがおらず王が五十歳を超えている場合、王室の典範に則り、王家はウゼロ公国から養子を迎えることになる。
しかし、王家の混乱など自分には関係のないことだ。そう考えながら、娘は冷たい夜風に長い黒髪をさらしていた。
「ユニカ様、お身体が冷えてしまいます。どうぞ中へ……もうお休みくださいませ」
「ええ、寝るわ。さがって」
娘を恐れてやまない侍女たちはあからさまにほっとした表情を見せ、順々に退出していく。
今日は冬の始まりの日だ。
シヴィロの冬は長い。
天気が悪いと憂鬱になるわ。
ユニカは世継ぎの死によって浮き足立つ城内の空気などものともせず、気に入りのソーダ水を飲み干してから寝台にもぐった。
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