天槍のユニカ



砂の城(20)

「そのように気概のないことを言うあなたを送り出すのは、不安でなりません」
 ユニカはヘルミーネの溜め息にさえ首を竦めたが、やや遅れて彼女の言葉の意味を考えた。そしてはっと顔を上げ、養母の顔を見つめる。
 つんと澄ました彼女の表情はいつも通りで、ユニカが問いを口にする前にテーブルに置いていた筒をこちらへ押し出した。
「今のあなたでは、王太子殿下のお役に立つことなど到底出来ないでしょう。ですが、お役には立てなくともお邪魔になってはいけません。それはわたくしが嫁いでくる時に母から授けられた心得書です。まずはそこにある三十条をしっかり覚えてその通りになさい。少なくとも、大きく道を踏み外すことはなくて済むはずです」
 促されて、筒を手に取る。中に入っているらしい心得書≠ェころんと音を立てた。
 ヘルミーネがエルツェ家へ嫁いだ時に渡されたこれを持たされるということは、それはつまり。
 自分からの贈りものをユニカが抱きしめるようにして受け取るのを見届けると、ヘルミーネはそっと席を立った。
 硝子窓の向こうの夕暮れだけがユニカを包む。
 どれくらい時間が過ぎたか分からない。人の話し声も聞こえたかも知れない。暮れなずむ空にようやく夜の青みが滲んできた頃、ヘルミーネが出ていったきり開け放たれたままだった扉の向こうから忍ばした足音が聞こえた。
 それは真っ直ぐこの離れに向かってきて、やがて立ち止まる。扉は開いていたが、足音の主はしばしそこで佇んでいた。扉に背を向けていたので、ユニカからその人の姿は見えない。
 いや、顔を上げれば正面の硝子窓にディルクの姿が映っていたのだろうけれど。
 歩み寄ってきた彼が後ろから抱きすくめてくるまで、ユニカは顔を上げられなかった。
「陛下のお許しをいただいてきた」
 耳許で聞こえた声はかすれていた。言うと同時にユニカの肩を捕らえた両腕に力がこもる。
「本当、に?」
 問い返すユニカの声もかすれて、震えた。
 ディルクも、今こんな気持ちなのだろうか。 胸の底から噴き出すような懐かしさで、呼吸もままならなくなるような心地。
「うん」
 額をユニカの頬へ擦り寄せるように頷いたディルクの手が、反対側の頬を包んだ。その途端、こぼれ落ちた涙が温かい掌の中へ沁みていく。

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