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御礼SS(12/5更新)
6章クリエリュの裏話。


 西の高地から届いた便りを開き、ゼスキアは歓喜の悲鳴を上げた。そして手紙を両手で掲げながらその場でくるくる回る。
 本人はその場で≠フつもりだったが、実のところ右に左にとよろめいていた彼女は回る勢いのままテーブルに激突し、今度は本物の悲鳴を上げた。
「なんです、今の音は!?」
 悪気はなかったのにテーブルの脚を蹴りつけてしまい、そして手ひどい反撃にあって激痛が走る爪先を押さえて床にうずくまっていたゼスキアは、母の声にぎくりとしたが痛くてどこにも隠れることが出来なかった。
 かくして、彼女は薬草籠を抱えて裏庭の畑へ向かおうとしていた母に見つかってしまった。
「何をやっているの、子供じゃあるまいし」
 トルデリーゼが眉根を寄せながらも助け起こしてくれる。若くはない母にしがみついて立つというのも情けないことだが、まだ痛くて声が出せないゼスキアは代わりに握りしめていた娘からの手紙を母に差し出した。
 母はしわの寄った便箋を手で伸ばし、この頃少し弱くなった視力を補うように目を細めてそれを読んだ。すると、途端にその目がまあるくなる。彼女は踊り出したりしなかったが。
「ね、びっくりなさったでしょう。あの子ったら、ようやくですよ」
 手紙は公爵家の姫君のお供としてゼートレーネへ赴いているエリュゼからだった。文面は当たり障りのない家族の消息をたずねる言葉で始まり、なんでこんなつまらない手紙を寄越したのかしら、とゼスキアが溜め息をついた頃、最後の方にごく短く「テナ侯爵と婚約することにする」「また今度、近いうちに侯爵を家に招くので準備をしておくように」と、記してあった。
 娘の結婚相手が早く決まることを望んでいたゼスキアとしては踊り出したいほど嬉しかった、というわけである。
 しかも、先日会う機会があった相手のクリスティアンは物腰柔らかで大変な好青年だった。彼の家柄が非常によろしいことももちろん魅力だが、きかん気の強いうちの娘とやっていくにはあれくらい落ち着いた大人の男でなければ無理だろう。彼と話をした母も、侯爵とご縁があればいいわねぇ、なんて遠回しな言い方をしていたが、相当彼を気に入ったようだったし。
 そもそも、エリュゼが初めて家まで連れてきた婿候補≠ナある。ほかの候補には会わせもしてくれなかったことを考えると、あの子もまんざらではないはずなのだ。
「きれいな景色を見て、二人の仲が深まったのかしら」
 ゼスキアの妄想の中の湖畔を歩く二人の姿。
 夫を愛していたが燃えるような恋をしたわけではなかった彼女は、美しい湖の畔で思いを育む恋人、という状況を想像するだけで年甲斐もなくときめいていた。そして、そういう状況で婿を捕まえた娘にはでかしたと言ってやりたい。
 事実はあたらずとも遠からずといったところだったが、そんなことはゼスキアには関係ない。
「侯爵がうちにお住まいになることを考えると、部屋を空けねばなりませんわね」
「部屋をって、まだ結婚したというわけでもないでしょうに」
「いいえ、お母様。ここは先に先にと準備を進めて、あの二人が心変わりできないようにしておかねばなりませんわ。そうとなればさっそくお掃除をしないと」
 便箋は母に持たせたまま、ゼスキアはたっと居間を飛び出した。
 娘が婿を迎えることになったら、空けると決めていた部屋がある。
 その部屋には、王族に仕えるために必要な教養を養う本が書棚を埋めている以外に、こだわりの品もない。机にあるランプも安物だし、壁紙や絨毯に色を合わせていないカーテンも必要だからそこにぶらさげられただけで、かなり日に焼けたのが目立ってきている。
 それでもそのすべてが愛おしかったので、ゼスキアは今日までここを片付けようとは思っていなかった。娘が一人前になり、本当の意味でこの家を継ぐ日が来るまでは。
 しかし、その日がもうすぐやってくると分かったのだから、ここをいつまでもゼスキアの宝箱にしておくわけにはいかない。
「少し狭くなりますけれど、わたくしのお部屋へいらしてくださいね、旦那様。ここはテナ侯爵のお部屋にするのですから」
 ゼスキアは今も机の上に整然と並べられていた亡き夫の愛用のペンを手に取った。
 これと、安物のランプと、夫が国王陛下からいただいた金の燭台だけは自分の部屋へ持っていこう。本は未来の女婿の役にも立つと思うのでこのまま……絨毯とカーテンは、新しく買った方がいい。
 そんなことを思いながら部屋の中をぐるりと見渡す。
 王や王妃の近侍として仕えていた夫は、月のほとんどを城で過ごす人だった。だからこの部屋には本当に必要最低限のものしかない。それでも、彼が帰宅した時には安物のランプに灯をつけて、この部屋でいつまでも飽くことなく語らっていた。
 夫が最期の時間の多くを過ごしたのもこの部屋。
 それなりに思い出が詰まった場所を人に譲り渡すのはさみしいものだが。
 新しい思い出を入れる器もまた、必要だ。
 いつかここでくつろぐ娘夫婦の穏やかな時間を思うと、自分の手許に残るのが夫のペンとランプと燭台だけでもいいと、ゼスキアは思った。
「そういえば……うちに婿に来る方を侯爵、侯爵とお呼びするのも変よねぇ。もう息子も同然なのだから、次にお会いする時はクリスティアン殿≠ゥしら」
 新鮮な響きだし、あの見目のよい若者が息子になるというのは周りに対しても実に鼻が高い。
 義母上よりはお義母様と呼ばれたい、孫はせめて二人、お願いします。などと期待を膨らませるゼスキアは、束の間のさみしさを鼻歌でどこやらへと吹き飛ばし、娘とその婿殿のために箒とちりとりを取りに行った。




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