年始のご挨拶 +
いつもに比べ浮ついた雰囲気で混雑する駅構内を通り抜け地上に出ると、思いのほかすんなりと待ち合わせ相手を見つけることが出来た。一人でぼうっと佇んでいても、やっぱり彼はどこか人目を引く。
人波の間をぬって彼の許に近づくと、繁華街の初売りを喧伝する垂れ幕をぼんやりと見上げていたディルクは、どうして気がついたのか、唐突にこちらを見てにこりと微笑んだ。
「ごめんなさい、遅れてしまって――地下の人混みが思ってたよりひどくて」
「朝の初詣客の帰りとぶつかったんだな。さっきからどんどん人が流れてくるし。おかげで俺たちが行く頃には神社がすいてるだろうけど」
そうねと相槌を打つユニカに、ディルクは改まった表情で向き直る。何ごとかと思って目を瞬かせていると、彼は慇懃に頭を下げた。
「あけましておめでとうございます」
「あ、はい、あけましておめでとうございます」
そうだ、そのご挨拶が一番であった。ユニカも慌てて頭を下げると、顔を上げたディルクはくすりと笑った。そして、
「アヒム先生も、あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
「元旦から親子水入らずのところへお邪魔してすみません」
「いえいえ。にぎやかなのはいいことだよ」
にこやかに挨拶を交わす養父と恋人の間で、ユニカは安堵した。よかった、二人ともそんなに気まずい顔はしていない。
元旦の朝。普段なら学生で混雑している時間帯の電車に乗って、ユニカはアヒムと一緒に初詣に出かけた。朝ご飯をゆっくり食べて片づけをして、のんびりと家を出るのは毎年のこと。
いつもと違うのは、神社の最寄り駅でディルクと待ち合わせ、その先は三人になることだった。
どうしてそうなったかは、クリスマスまで話を遡る。
クリスマスは毎年、アヒムと二人でケーキやごちそうを作って過ごし、夕方になるとまずエリーアスとキルル夫妻がお酒を手にやって来る。夜になると追加のごちそうを持ったクレスツェンツの一家もやって来て、結局わいわいとにぎやかな宴会になるのが常だった。
なので、ユニカはごく普通にディルクからのデートの誘いを断った。忙しい、って。ディルクも少し残念そうに「そっか」と言っただけだった。で、ユニカは逆にその宴会にディルクを招くことも思いつかなかった。
以上のような経緯で、二人はクリスマスにぜんぜん顔を合わせなかったのだった。ところが、このクリスマスにもごちそうとプレゼントを持って意気揚々と遊びに来たクレスツェンツが「ディルクを呼んでいないなんて!」と騒いだのである。
「可哀想に、きっと今頃一人でチキンを食べながらクリスマスと年末ムード一色のテレビを見て切なくなって、寂しさを紛らわすためにヴァイオリンの練習を始めているに違いない……」
そしてサンタの帽子をかぶり、ディルクにあげるつもりだったとおぼしきプレゼントの包みを抱いてさめざめと泣き始めたりした。
「冬休みだし、お家に帰っているんじゃないんですか?」
「ディルクは実家に寄りつこうとしていないもの。正月だって帰らない。うう、今日はきっとユニカが呼んでいると思って、ちょっと早いがお年玉も用意してきたのに……」
アヒムの問いにもしくしくしながら答えていたクレスツェンツだったが、エリーアスが持参したワインを与えるとすぐに元気になった。
むしろその後もしょんぼりしたのはユニカだ。
そんな、ディルクが冬休みも一人で過ごすことを知っていたら誘ったのに。いや、でも、正直このパーティーの方が楽しみでディルクのことを気にしていなかった節はある……。
「ユニカ、きっと明日もディルクは暇だよ。わたくしからのプレゼントとお年玉を渡しに行ってくれないか」
申し訳なさで悶々としつつも宴を終える頃、気持ちよく酔ったクレスツェンツにそう言われユニカは救われる思いがした。
会いに行く口実があるのはとてもありがたい。一日遅れてしまったがプレゼント代わりに簡単なケーキも焼いて持って行こう。あと、お正月の予定も聞いてみよう。
本当に彼がお正月も一人で過ごすことになりそうなら……。
一緒に初詣に行こうと誘った。
元旦から他人を呼ぶのは養父が嫌な顔をするかなぁとか、養父と一緒ではディルクも気を遣うかなぁとか心配していたが、スタートは順調のようだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
人が押し寄せてくる方向を見て言うディルクに親子は頷き返す。
通行人が多くて一列に並んで歩くしかなかったのも、平和が維持できた一因だろう。ユニカが二人の間に挟まれて歩いていても、アヒムとディルクが終始無言なのは気にならなかった。
いつもお詣りにいく神社は例年より混みあっていた。
未明と早朝に行われる儀式の時にはもっと混んでいて、親子はそれを避けて初詣に来る。しかし今日はお天気もよいので、朝ご飯を食べてからさっそく家を出たという人が多いらしい。
屋台も出てお祭気分が漂う参道を人の流れに沿って歩き、拝殿を前にして出来た行列の一番後ろにくっつく。もこもこと着膨れした人波に紛れ込むと寒さも和らぐ気がした。が、それはいいとして、
「……」
隣にいる娘に話しかけていいのやら分からない。こんなに並ぶのは初めてだねとか、天気がよくてよかったとか、言いたいのはそういうどうでもよいことなのではあるが、いざそう言おうと思って娘の方を見下ろしてみたところ、彼女はちらりちらりと反対隣にいるディルクのことを見ていた。
当の彼は人の頭の群を眺めているだけだったが、アヒムはなんとなく邪魔してはいけない気持ちになった。それに、娘が恋人に送る視線を見ているのはどうにもいたたまれない。
娘がもう大人だということは分かっている。いるのだけれど……ううん……。
アヒムは気づかれないようにそっと溜息をつき、列が先へ進むのに合わせてユニカから視線を逸らした。
本音を言うと、クリスマスはあれだけにぎやかだったし、年末も仕事を片づけるのに忙しかったから、元旦くらいは親子二人でまったり過ごしたかったのである。
まぁね、ディルクが一人暮らしの部屋でぽつねんとお正月を過ごしているのも可哀想だから、ユニカが彼を呼んだ気持ちも分かるのだけれど。
でもなあと思ってしまう自分の心は狭いのだろうか……お詣りの順番が回ってくるまでにもっと心を清らかにしておかないと、と深呼吸をするアヒムだった。
ユニカの視線を感じなくなったので、ディルクは横目に彼女を見下ろしてみた。
ユニカは長いまつげをぱちぱちと上下させて、何やら悟りを開きそうなほど穏やかな横顔の養父を見ている。
ディルクは上を向いたまつげの動きと、ディルクには見せてくれたことのないあどけない表情の横顔を盗み見ていたが、やっぱりその視線の先にいるアヒムのことが気になって内心舌打ちした。
あからさまに嫌な顔はされないし、大学の教員すなわち変人が多い研究者の一人であるはずなのに常識人だし、基本的にいい人だがそれゆえ付き合いづらい。どんなに過保護で邪魔でも、どんなに埋めようとしても埋まらない外堀で邪魔でも、とりあえず邪魔でもいい人なばっかりに邪魔だとは言えないのである。
今日だってこうして三人での初詣に行くことを「いいよ」と言って貰えたからには「ユニカと二人きりがよかった」とは口に出来ない。しょせんお呼ばれした身のディルクからすると、家族の団らんに混ぜて貰えたのは一つの借りだ、借り。
でも、最初にユニカから初詣は一緒に行かないかと言われた時、ディルクはとっても期待した。
何しろクリスマスに恋人を放っておいた申し訳なさを全身にまとってユニカが訪ねてきたので、その埋め合わせを正月にしてくれると思ったのだ。
クリスマスは押し掛けてきた妹に部屋で酒盛りを開催され本当に最悪だったが、年明け早々ユニカと恋人らしい時間を過ごせるならあの悪夢も無かったことに出来るというもの。
二人きりで過ごせるならなんでもいいが、年が明けて最初のコトなので、ヒメハジメと称してユニカをからかうのも楽しそう……といろいろ想像を膨らませていたにも関わらず。
それがどうした。現実は保護者同伴。
年始にこの残念な気分を味わわせてくれたからには、今年一年は相当いい年にしてもらわないと相手がどこの神でも呪うぞ、と思いながら、ディルクは人混みに視線を戻す。
代わりに、前を向いたままユニカの手を握ってみた。
鞄に添えていた手を握られ、ユニカはびっくりしてディルクを見上げた。彼は前を向いたままだったが、ユニカに見つめられていることは知っているのだろう。まるで何かの合図か言葉の代わりのようにきゅっきゅっと不規則に手に力を込めてくる。
目を逸らされたままではどんな顔をしていいのか分からず、でも何かしらのメッセージを込めて手を握られているのが恥ずかしく、ユニカは頬が赤くなるのを隠すためにうつむいた。
思えば、こうしてディルクと一緒にいるところをじっくり(?)養父に見られているのは初めてだ。それに気づいた途端、ますます恥ずかしくなってきた。
お付き合いしていることはもちろん知られているし、デートの際に家まで送り届けてもらうこともしばしば。ディルクと養父が顔を合わせる機会は結構ある。
ただ、こんなに長時間一緒に過ごすのは三人にとって初体験だ。
二人はなんとも思っていなさそうだが、間にいる私が恥ずかしい。特に、こうしてこっそり恋人扱いされていると。
「……」
しばし悶々とうつむいていたユニカだったが、意を決して右隣にいる養父の手を掴んだ。ああ、そういえば手を繋ぐのなんて何年ぶりだろう。これはこれで照れるが、仕方ない。
「どうしたの?」
案の定、驚いた養父が問いかけてくる。
「ひ、人混みがすごいので、離れないようにと思って。ね?」
あえて反対側で手を繋いでいるディルクに同意を求めてみる。彼は一瞬きょとんとしたが、すぐに爽やかな笑みを見せてくれた。
「そうだな」
手を繋いだのは迷子防止のため!! この瞬間、そういうことになった。
ユニカは一安心する。これでディルクと手を繋いでいても変ではない(もともと変ではないけれど)。この際、ディルクが指を絡めて手を握り直してきたのも許しておこう。
ふう、と謎の溜息をつくユニカの両脇では、彼女とそれぞれ手を繋ぐ二人が反対に繋がる手を視界の隅に捉えつつ、心の中で同音にぼやいていた。
((すっごくモヤモヤする……))
とはいえ、この初詣が上手くいっていると思っている、または上手くいくようにしようと努力しているユニカの諸々の気持ちをくじくのは可哀想、というのは、同じ心の声を持つ二人にとってまたも共通する思いだった。
意外と熱心に神様へ願い事をしているユニカの横顔を(いじらしい……)と思いながら横目に見、お詣りの列をはずれた彼女が次はお守りを買う列に並んだのを見届けると、なんと恋人と養父は二人きりになってしまった。
おかしい、なんでユニカとじゃないんだろう……と思いながら、二人は彼女の姿を見失わない程度に離れた場所で並んで待っていた。
「おうちには帰らないの?」
先に口火を切ったのはアヒムだ。緊張して、意味もなくコートのポケットの中で家の鍵とキーホルダーをいじり回しながら訊いた。
「先生は帰らないんですか?」
するとあっさり、回答ではなく別の質問が返ってくる。ディルクの口調はさらりとしていたが、その件には触れるなと言わんばかりだ。
「すぐ近くだからね、改めて帰るほどでもないというか」
「俺もそうですよ」
絶対嘘だ、と思う一方、ちょっと悪いことをしたなとアヒムは思った。
ディルクの家庭事情が複雑なことはクレスツェンツから聞いてなんとなくは知っているけれど、それ以上のことを知ってどうしようとは考えていなかったのにディルク本人に尋ねてしまった。好奇心で人の痛いところに触れるのはよくないな、と反省しながら足許の細かな砂利をつま先でひっかく。
「今日はご一緒させていただいて、ありがとうございました。久しぶりに来たので新鮮でしたよ、初詣」
そうして気まずそうにするアヒムに気を遣ってくれたのか、腕を組んでユニカの姿を目で追うディルクが呟く。
「そう、よかった。せっかくのお正月だし、こうやって大切な人と一緒に過ごせるのは幸せなことだよね」
うん、と頷く彼は、やっぱりユニカを見つめたままだ。
「大切な人」だと思って見ていてくれるのなら嬉しい。嬉しいけれど、もうディルクに譲り渡してよいかと言われれば答えはノーだった。少なくともユニカが未成年の内は堂々とこう言っていていいはずだ。
トテトテと小走りに戻ってきたユニカが、さっと二人の顔色を確認して何ごとも無かったことを確かめたのが分かった。もちろん何ごともありませんでしたとも、という返事をする代わりに、ディルクとアヒムは笑顔で彼らのユニカを迎える。
彼女は安心した様子で買ってきたお守りを袋の中から取り出した。
「私から先生にです」
「えっ、ああ、ありがとう」
アヒムが渡されたのは福寿草が刺繍された白色の「幸守」だ。とっても大ざっぱでなんでも叶えてくれそうなお守りだが、娘からも貰ったとあってはこんなに特別なものはない。
鞄につけよう……とほっこりした気分でお守りを見下ろすアヒムの傍ら、今度はディルクにも包みを差し出すユニカ。
「ディルクにはこっちよ……ちょっと、可愛すぎるかも知れないけど」
ディルクが神社の紋の入った紙袋からお守りを引っ張り出した途端、しゃらんしゃらんと不思議な音を響かせる鈴が出てきた。青緑色の鈴を繋ぐストラップには「御守」と書かれた金のプレートも一緒にぶら下がっている。
「水琴窟の音の鈴ですって。いい音だと思って……」
「うん、いい音だよ。部屋の鍵につけておくとよさそうだな。ありがとう」
ユニカがディルクに返すはにかんだ笑みを見つけて、アヒムはあたたかな気持ちになる一方、少しだけ寂しい。
やっぱり、恋人に向ける笑顔は違うものだなぁ、と。
初詣も終えてお守りも手に入れて、三人はもと来た道を帰ろうとしていた。そんな時、ふと神楽殿のあたりで人々がわっと騒がしくなる。
「なんだろう?」
「そういえば御神酒を配るって張り紙がありましたよ。先生、一杯どうですか、一緒に」
アヒムはちょっと驚いた。まさかディルクにお酒を誘われるとは。
ここはのっておいた方がこの場の空気のためにもよさそうな気はしたが、
「ええと、ごめんね。あんまりお酒は強くなくて……外では飲まないんだ」
自分の体質に嘘はつけない。
「そうですか。ユニカはいる?」
「私は未成年よ」
「そうだった」
「貰っておいでよ。参道に甘酒が売ってたし、私たちはそっちで、三人で乾杯ということで」
酒杯につき合えなかった代わりにと思いそう言えば、ディルクも意外そうな顔をした。
つまるところ、私たちはまだお互いの好意に驚く程度の関係というわけだね。いつまでもそれじゃあユニカのためにならないので、ここは歩み寄る努力はしておきたい。……と考えるアヒムの心境はものすごく複雑だったが、彼の提案を聞いたほかならぬユニカが嬉しそうだったので、まあよい。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
それからアヒムとユニカも屋台で甘酒を調達し、三人は石のベンチに並んで座って御神酒と甘酒で乾杯した。
よく晴れた正月の空がとってもきれいだった。明日は寒そう。家の中でお節料理をつつきながらのんびり過ごすのにはちょうどいいかも知れない。
明日と言わず、まずは今日なのだが……。
「ディルクくん、よかったら、お昼もうちで食べていくかい? 昨日からユニカが用意してくれたお節があるよ」
「えっ」と声を上げたのはユニカの方だったが、ディルクもきれいな色の目をまぁるくして枡から口を離した。
決して迷惑そうではなさそうだが、彼は少し考え込んだあと御神酒を一口啜ってふと苦笑した。
「いえ、遠慮しておきます。今日のところは初詣にお邪魔させて貰っただけで十分」
「そ、そう」
断られたのは少し予想外である。喜んで誘いに乗っかってくるだろう、そしてこれを機にもう少しディルクと話を……というアヒムの思惑ははずれてしまった。
やっぱり親と一緒っていうのはくつろげなくて嫌かな、とほろ苦い気分で甘酒をちびちび舐めていると、ややおいてディルクがぽつりと呟いた。
「あんまり二人と一緒にいると、部屋に帰ったときに寂しくなるし」
「……」
なんとも切ない台詞に、どう返していいか分からない。が、人並みにそんな寂しさを感じているこの若者のことがちょっとだけいじらしく思えてくる。
「何も、今日だけとはいわずにうちに遊びに来るといいよ。大しておもてなしは出来ないけど、ご飯くらいは一緒に食べられるよ」
「……ありがとうございます」
ディルクはなんとも物憂げに笑った。
まあそうは言われても遠慮はしてしまうだろうな。アヒムも苦笑を返す。
するとディルクは、二人の間で心配そうに成り行きを見守っていたユニカの方へおもむろに身を屈めた。
アヒムからはよく見えなかったが、その直後ユニカの耳の縁がお湯に投げ込まれたタコのように赤くなったので、何が起こったのかは嫌でも分かってしまった。
「今年はアヒム先生とも仲良くなれそうだ。でも今年といわず、ずっとよろしく、ユニカ。先生も」
ユニカはディルクの方を見たままわなわなと震えて返事もしない。
アヒムも、彼の爽やかな笑みにははめられた気しかしなかった。
年明け早々、とんでもない間違いを犯してしまった気がする。
でも、真っ赤になって硬直したままかすかに震えてもいるユニカがあまりにも不憫だったので、アヒムは何も見ていなかったことにするしかなかった。
「そうだね、よろしく。ユニカもね」
とっても言わされた気がする……と思いながら口にした甘酒はすっかり冷めていて、やっぱりちょっと苦い気がするアヒムだった。
(2017年第1ラウンドはディルクさんの勝利!?!?)
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