はじまりの昨日と今日
エリュゼがユニカのところへ来て間もない頃の話。


 夜、布団にもぐってから本を読むのはユニカの数少ない楽しみの一つだった。
 寒い季節は特にいい。毛布の暖かさに包まれて文字を追うことに没頭し、眠気のお誘いに勝てなくなったら眠る。
 好きなことを心ゆくまで楽しんでから夢の中へ向かうのだから心地よいのも当然だ。
 ところが最近、それを妨害する者が現れたおかげでユニカは毎夜本を没収されて寝台に押し込まれていた。
 今夜も温石で温められた布団の中にもぞもぞともぐりつつ、いつも本を取り上げていく侍女を上目遣いで睨んだ。その侍女は先月にやってきた新顔である。
 ほかの侍女はユニカのことを恐れて積極的に関わろうとはしてこないのに、この侍女は違った。
 今もまるで子供を寝かしつけるようにユニカの胸に毛布を掛けようとしていた。仕方なく枕に首を預けつつ、ユニカはむっつりと唇を引き結び侍女から顔をそらした。
「おやすみなさいませ、ユニカ様」
 事務的な声色でそう言い、彼女は寝台の傍においてある小さなテーブルから本を持ち去ろうとした。さっき、彼女の目を盗んで運んでおいたやつだ。
「それは持っていかなくてもいいわ」
「いけません。読書は明るい内になさってください」
 持っていかなくていいと言っただけなのにこんな返答である。
 やりたいことをこれほど制限される生活は久しぶりなので、ユニカはうんざりしながら頭まで布団をかぶった。
「おやすみなさいませ」
 もう一度「寝ろ」と言わんばかりに繰り返し、新顔の侍女は寝室を出て行った。
「エリュゼ、あんまりユニカ様のやりたいことを邪魔しない方がいいわよ」
「ユニカ様のためにしていることよ。夜更かしはお身体によくないわ」
 扉の向こうからそんな会話が聞こえる。静まりかえった寝室にはその声がよく響いた。
 いいではないか。夜更かしくらい。どうせユニカはここで暮らしているだけ。いつ眠っていつ起きても、誰にも迷惑をかけない。
 王妃が生きていた頃は規則正しい生活を送るように言われていたが、その王妃ももういない。彼女の言いつけを守っていたって意味はない。
 ユニカは布団の中でまるくなり、侍女達の気配が完全に消えてしまうまでぎゅっと目をつむっていた。

 が、ただ感傷的になっているだけではしゃくである。
 しばらくすると、ユニカはむくりと起き上がった。
 新しい侍女――エリュゼは本だけ持っていったが、それではユニカの夜更かしを阻めないことを彼女はまだ知らない。
 ユニカが『天槍の娘』と呼ばれ恐れられている所以を、エリュゼに教えてやらねばなるまい。
 ユニカは暗闇の中に手を伸ばし、慎重に寝台脇のテーブルの上をまさぐった。やがて冷たい硝子の――ランプのオイルタンクに指がぶつかる。
 その感触を頼りに火屋を外し、手探りで火を灯す芯をちょっとだけ出し。
 そして、その芯があるであろうあたりに指先をかざしてじっと意識を集中させた。
 パチッと弾ける青白い火花。それはランプの芯に命中し、オイルと交わって小さな炎に変わる。
 ランプはうたた寝から醒めたようにぼんやりとユニカの手許を照らした。それも炎の大きさを調整してやれば確かな灯りになって、ユニカのことも寝台の上も十分な明るさで包み込んでくれる。
 あの侍女は、まさかなんの火種もなしにランプをつけられる人間がいるとは思ってもいないだろう。神々が持つ銀雷の槍に由来するとかいう『天槍』の力で読書のための灯りをともすなんてことも、想像していないはず。
 が、知ったことではない。なんと言われようと、ユニカは今日こそ寝る前の読書を満喫するのだ。
 光を取り戻したユニカはランプを持って悠々と主室に入り、エリュゼが持ち去った本を書きもの机の上で見つけると、それを抱えて寝台に戻った。
 このランプには鏡がついているから明るさも倍。真夜中の読書のためにあるようなランプである。だからそれにふさわしい用途のために用いてやらねばかわいそうだ。
 ということにして、ユニカは腹ばいになって布団を被り直す。枕の一つに本を広げ、もう一つの枕を胸の下に抱え込んで、読みかけていた地方の伝承集の文字を追い始めた。
 そして、白い猫が金の横笛を吹きながら春の風を連れてくる北国の物語を読み終えるか否かという頃、ユニカはいつの間にか眠っていた。

     * * *

 翌朝、エリュゼが見つけたのはすっかり油の尽きたランプと、本を抱えて満足げに寝ているユニカだった。侍女達が隣の部屋で朝食の準備を始めても、エリュゼが寝室に起こしにやってきてもユニカはぐっすり眠っている。
 ランプの灯油は満杯とはいいがたい量だったはずだが、それでも残りの油を使い果たすほどの長時間、彼女は夜更かしを楽しんでいたと見える。それは起きないはずだ。
 エリュゼは空のランプを手にしばし呆然としていたが、主人が幸せそうに布団を引き寄せて寝返りを打ったので我に返った。
「ユニカ様、ご朝食の時間です。お目覚めになってください」
 はじめは優しく布団の上からユニカの肩を叩いたが、まるで気づいてくれる気配がない。そこで今度は遠慮なく彼女の肩を揺すると、幸せそうな寝顔から一転、寝ぼけながらも恨みのこもった目が現れて、じろりと睨まれた。
「読書は明るい内になさってくださいと申し上げていますのに」
 しつこくなだめすかして寝台から引っ張り出したユニカを鏡台の前に座らせ、うとうとしながら髪を梳かされている彼女に向かってエリュゼはなおも夜更かしを咎めた。
 するとユニカは面倒くさそうに片目だけをうっすら開けて鏡越しにエリュゼを睨み、フンと鼻を鳴らした。控えめではあるが、聞き分けのない子供のような態度である。
 ユニカは髪を結ぶことを好まないので、エリュゼは毎朝大したもつれもない主人の黒髪を梳くだけだ。それが終わればユニカはさっさと鏡台の前を離れ、寝間着のまま朝食のテーブルに向かってしまう。今日も寝不足で食欲もなさそうなので、きっと果物かヨーグルトだけを口に入れて寝直すつもりなのだろう。
「そもそも、どうやって火をつけられたのですか」
 それでもエリュゼはしつこくユニカを追いかけ、席について蜂蜜の入った器を手に取るユニカに問うた。
 エリュゼの言葉に、ほかの侍女達の表情が強張った気がした。それを怪訝に思っているうちに、好きなだけ蜂蜜をヨーグルトに垂らしたユニカはテーブルの真ん中にあった火のついていない燭台に手を伸ばす。
 そうして次の瞬間、朝の陽射しで満たされたテーブルの上に――ユニカの指先と蝋燭の先端の間に音を立てて青白い火花が散った。
 火花に打たれた蝋燭の芯にはすぐさま大人しい灯が灯る。
 息を呑む侍女達に、相変わらず不機嫌そうなユニカ。
 驚いているのはエリュゼだけで、しかしそれもすぐに納得に変わった。
 そうか。ユニカは『天槍の娘』と呼ばれているのだった。
 それにしてはささやかな力だ。みんなこんなものが恐いのだろうか。
 むっつりしながらヨーグルトを食べているユニカの横顔を睨むように見つめつつ、エリュゼは今夜の仕事を一つ増やすことにした。

* * *

 指先で火をつけるところを見せてやったのだから、エリュゼもユニカのことを怖がるようになっただろう。
 そう思ったのに。
「おやすみなさいませ、ユニカ様」
 エリュゼはユニカを極上の布団の中に押し込んでから、ユニカが枕元に持ってきた本と、今日はランプまでを手に持ってそう言った。
「ちょ、ちょっと待って。それは持っていかなくていいわ」
「いけません。読書は明るい内になさってください」
 そして、昨晩と同じやりとりを交わすはめになった。しかも昨晩より圧倒的にユニカの分が悪い。火はつけられても火をつけるものがなくなるのだから。
 恐れるどころか冷静に対処されてしまってはなすすべがなく、ユニカはあっけにとられたまま寝室を出て行くエリュゼを見送った。

 以後もずっと、ユニカはこの口うるさい新顔の侍女と静かな攻防を繰り返すことになる。




20200419
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