現代パロディE
えんそうかいがはじまるよ! 前回のお話はこちらです。



 夏も夏。きっとこの八月で最も暑い日だろうと思われる土曜日の午後。
 頂上に登った太陽の暴力的な熱がアスファルトにこもり、それが放射され始めた最悪の時間帯に会場の扉がようやく開いた。
 この暑さだが、大学の大講堂へ吸い込まれていく人の数は結構なものだった。学生はもちろん地域住民もいるのだろうか。まさに老若男女の群れが日陰と冷房を求めて扉をくぐっていく。
 いろんな人がチケットを買っているんだなあ。そう感心しながら、ユニカはそこここに貼られたポスターに目をやった。
 今日はこの大学の管弦楽部が催す夏の定期演奏会だ。夏期休業中でうんと人気がなくなる大学がこれほど賑わうのは、いつも夏の一番暑い日らしい。
 ようやく建物の中に入ると、人いきれはすごかったが太陽から逃れられただけでずいぶん涼しく感じた。隣では同じ思いをしたと見える養父もほっと息をついている。
「クレスツェンツ先生、いませんね」
「席に行けば会えるよ」
 人波に押されるまますり鉢状の講堂へ入っていくが、待ち合わせているクレスツェンツの姿は見つけられなかった。あんなに目立つ人なのに。
 きょろきょろして階段を上りながらも自分達の席がある列を見つけ、ユニカはひょいと行列から抜け出す。真ん中あたりが彼女らの席だが、そこにもクレスツェンツの姿はなかった。
 ともあれ席に着いてみると、自然に舞台を見下ろせるようなよい高さだ。首が快適である。
 そんなことを思いチケットとプログラムを交互に見ていると、何列か前の席から突然声をかけられた。
「あら! ユユニカじゃない!」
 そのややこしい聞き間違いを未だに引きずっている人物といえば、一人しかいない。
 彼女の声にびくーっと反応してしまう自分を心底間抜けだと思いながら、ユニカは恐る恐るプログラムから顔を上げる。
「来てくれたのね! もう、今日になる前に見つけて欲しかったのに」
 大きく手を振っているのはレオノーレだった。
 かしこまった格好は必要ないと聞いた演奏会だったが、今日の彼女は前襟がフリルになったノースリーブの白いブラウスに臙脂色のフィッシュテールスカートをはいていた。どことなくピシッとした服装だが、スカートの前の丈は彼女の健康的で美しい太腿がちらちらと見えるような長さ。赤みの強い豪華な金髪の間からは、ブレスレットに合わせた大きな金のフープピアスが揺れてのぞく。
 クレスツェンツ並みに人目を惹くギラギラ感がある。
 案の定、大声とその華やかな容姿で注目を集め始めたレオノーレだったが、彼女の後ろにいた少年が冷めた溜め息をつくと、ほどなくその見世物は終わることになった。
「姉さん、早く進んでください。後ろがつっかえてるでしょう」
「分かったわよ。まったく、いつまでぶうたれてるの? 普通のコンサート会場じゃないんだからVIP席なんかなわよ。諦めなさい」
「だから行かないって言ってたのに無理矢理連れてきたんじゃないですか! なんでこの僕がこんな狭くて硬いオリタタミ椅子なんかで……」
「硬いオリタタミ椅子は失礼よ、申し訳程度にクッションはきいてるし」
 姉さん、ということはレオノーレの弟だろうか。二人はなおも何かを言い争いつつ、少し進んで自分達の席に腰を下ろした。
 どうやら彼らは彼らの兄に招待されたらしい。ユニカのスマホに写メという形で居座っているレオノーレの兄≠ノ。
 ヴァイオリンの演奏者なら、きっと舞台の向かって左手に座るのだろう。見つけられるだろうか。――いや、別に見つける必要はないか。ユニカはただクレスツェンツに招待されて来たのだから。
「お友達?」
 隣から怪訝そうな声が聞こえてきたので、ユニカはまたもびくーっと縮み上がった。
「は、はい。お兄さんがヴァイオリンを弾いてるとかで……」
「ふぅん、そうなの」
 養父は詳しくは聞いてこなかったが、不思議に思っているのは明らかだった。だって、あんなギラギラした同年代の女子、ユニカが得意なわけがない。
「ユニカの名前を間違えてるみたいだったけど」
 はっ、それも確かにおかしい。友達なのに名前を間違えているなんて。
「聞き間違えたみたいで、そのままなんです……」
 そこは正直に(ただし、どもった自分の過失はなかったことにして)ユニカが答えると、養父は眉尻を下げて苦笑した。
「なるほどね」
 レオノーレが一方的にしゃべりまくる娘だと察してくれたのかも知れない。
 その時、養父の視線がふと泳いだので、ユニカはその行く先を追って振り返った。
「あれっ、一列間違えてしまったか!」
 ユニカのちょうど真後ろには、素っ頓狂な顔をするクレスツェンツがいた。
 彼女の装いはフリルのついたノースリーブの白いブラウスに、赤いフレアスカート。うーん、さっき見た気がする。ファッションが丸かぶりした二人は、今日出会わない方がよさそう。
 ユニカはレオノーレがこちらを振り返り気まずいことになるのを警戒しつつ、控えめな声でクレスツェンツに挨拶した。
「来てくれて嬉しいぞ、ユニカ。今日は存分に楽しんでおくれ。ところでアヒム、お前はユニカと二人で歩いていいのか?」
「ちゃんと親子だと説明するまでです。それより先生、席をお間違えなら早くこちらにいらっしゃらないと。その席の方にご迷惑ですよ」
 どこか不機嫌に答える養父とニヤニヤするクレスツェンツ。まさか父と自分がお付き合いしていると一部の女子に誤解されているとは露も知らぬユニカである。
「すぐにそんな誤解は解けるとも」
 きょとんとする彼女の頭を機嫌よくよしよしと撫でてから、クレスツェンツはいそいそと通路を戻り、ほどなくしてユニカの隣にやってきた。


 やがてあらかたの観客が席に着き終えた頃、照明がぼうっと暗くなり、舞台の両袖から静かに奏者達が入ってきた。
 部のユニフォームなのだろうか、皆同じ濃灰のジャケットを羽織っていて、「くだけた演奏会」だと聞いていたが、彼らの雰囲気はピリリと引き締まっている。
 彼らが席に着き楽器を構えるまでのわずかな時間、緊張感をはらんだ空気の震えがなんとなく観客達を黙らせた。
 そういえば、この演奏会を聴きに行くとエリュゼに話したところ、彼女の恋人もこの部のOBで、今日はセカンドヴァイオリンの端っこに座っているらしい。
 エリュゼは別の学友と聴きに行くと言っていたので合流しなかったが、彼女も講堂のどこかに座っているはずだ。
 せっかくなのでその恋人を探してみることにした。二人の新居へ引越しのお祝いを持って遊びに行ったことがあるので、恋人の顔は分かる。
 そうして知った顔を探しているうちに奏者たちはめいめいに楽譜を広げ、楽器を構え始める。すると中央付近で一人のヴァイオリニストが立ち上がった。
 ユニカはどうしようもなくそのヴァイオリニストに釘付けになった。
 彼ではないか。図書室でお隣だった、チケットを拾ってくれた、ユニカのスマホの中に居座っている彼。
 唖然とするユニカの隣で、ふふふと得意げに笑う声がする。クレスツェンツだ。
「あれはわたくしの甥っ子だ」
「ええ?」
 ユニカはつい大きな声で驚いた自分の口を塞ぐ。
 彼がクレスツェンツの甥? レオノーレの兄ではなくて?
 いや、両方の条件を満たしていてもおかしくはないか……。
 あれ? ということはレオノーレはクレスツェンツの姪?
「あの子を知っていたかい? ふふ、まあ結構有名人だものな」
 クレスツェンツがにんまりする意味は分からなかったが、どういう縁でこの演奏会にユニカとアヒムを誘ってくれたは分かった。
 が、しかし、クレスツェンツと彼とレオノーレの関係が頭の中でぐるぐるして、自分が何に驚いているのかよく分からなくなってきくる。
 そんな時、やわらかなオーボエの音が一筋、ホールの天井に響き渡った。
 会場の緊張と期待がわっと高まる。チューニングの始まりだ。人によっては、この時間が一番好きだとかいうらしい。
 音楽を解さないユニカにはよく分からなかったが、様々の楽器が同じ音を奏でる一体感は確かに胸をドキドキさせる。
 そして、オーボエに代わり、ほかの楽器を導く一本のヴァイオリンの音は、とってもきれいだなと思った。


 ユニカがディルクに見入っているようだったので、アヒムは見るからにそわそわしていた。
 今ユニカに顔を見られたら、具合が悪いのかと心配されそうなほど自分は変な顔をしていることだろう。
 うーん、ディルクが美形なのは分かるが、今日はステージの上の人。結構距離があって顔などよく見えないと思うのだが。
 それとも、やっぱりイケメンは雰囲気が違うのだろうか……。
 ああ、来るんじゃなかった。演奏会のスケジュールを知った時点で、ユニカと二人で出かけられる予定を入れておくのだった。
 後悔先に立たず……を実感しているアヒムの胸ポケットでスマートフォンがうるさく震える。
 マナーモードも意外に音が響くから電源を切るべきだな。
 そう思ったアヒムが電源を切る前に届いたメールをチェックしておこう、といくつかの画面を操作すると、現れたのはなんとクレスツェンツからのメールだった。
 思わず二つ隣の彼女を見る。返ってくるにんまりした笑顔。
『ユニカはディルクのことが気になるようだ💕』
 液晶上で踊るハートマークを見た瞬間、アヒムはもう色々放り出して帰りたくなった。が、天井を仰いで席を立つのはなんとか堪える。
『オーケストラのコンサートは初めてだから、珍しいんでしょうね』
 クレスツェンツが言わんとしていることは断じて認められない。アヒムはハートマークを無視して淡々と返事を打った。
 っていうかこれは何をしているのだろう。すぐ近くに座っているのに。……いや、間にユニカがいる以上声にできる内容ではないが。
 するとすぐに次のメールが返ってきた。
『一目惚れかも💕💕💕』
 ハート増量である。
『薄暗くて顔なんて見えてませんよ』
 アヒムはあくまで淡々と返す。
『顔は知っているようだった(*´艸`*)キャ』
なんだその顔文字。っていうか顔を知ってたなら一目惚れではないじゃないか。
 イライラしながらアヒムが返事を考えていると、早くも次のメールが。
『子離れの覚悟をする時だな…(*´艸`*)』
 だからなんだその嬉しそうな顔文字! アヒムはぜんぜん(*´艸`*)な気分ではなかったので、怒りに任せて端末の電源を切った。
 彼がスマートフォンを胸ポケットにしまうのを見て、クレスツェンツがあっと不満げな声を上げる。が、それ以上の抗議は不可能だ。
 アヒムをおちょくる術を失ったクレスツェンツもしぶしぶスマートフォンをしまった時、指揮者と思しき教員がステージに現れる。プログラムを見たところ、他学部で音楽系の芸術史を教えている教員だった。
 会場はわっと拍手にわき、ユニカも興味深く舞台を眺めながら手を叩いている。
 名にし負うオーケストラの公演の始まりだった。
 子離れなんて……いずれそんなくる時がくるのはわかっているとも。だったらせめて、ユニカが大学生のうちは手許で大事にしておきたいと思っているんだけどな……。
 しんみりとそう思いながら、アヒムも仕方なく手を叩いた。



(まだまだこれから!笑)

20170908

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