名前変換 思い出せば思い出すほど、あいつは昔から腹のたつ奴だった。 帝国でサッカーをしていた頃なんかは女子の癖して(決して差別的な意味を含むものではないが)他の奴らより格段に巧かったし、いや、腹立たしいのはそこではなく、俺が少しでもミスをすると大声で囃し立てたり茶化してきたりする、その女性らしからぬ言動だ。まぁ、楽観的に述べるとあいつのおかげでサッカーが上達したってことにはなるが……。雷門で初めて練習に参加したときに妙にスカスカした気分になったのは、あいつが居ないからだと気付いたのは随分後だった。 その後、俺はあいつのことなんかすっかりしっかり忘れて、高校・大学と青春を謳歌した。そして、家業を継ぐにあたってひたすら毎日デスクワークをこなす今に到る。 あいつに再会したのは、丁度2年程前のサッカー部の同窓会だった。大半は昔の面子にスーツが納まった姿ばかりで、やけに懐かしくてやけに楽しかった。(言うまでもなく、不動とは若干いざこざがあったが。) そこに、あいつは突然現われた。 興が乗ってきた頃、居酒屋の入り口に白いスーツに身を包んだ女性が現われたのだ。肩までかかる黒髪はクルクルと鮮やかなウェーブを描いていて、形の善い唇に、まるでそれを色付けるためだけに存在したかのような赤い口紅がのっている。 一同は黙り込んだ。今日は帝国元サッカー部でこの居酒屋は貸し切りのはずだ。其処に何故、こんな美女がやってきたのか?其の謎は永遠に解けないように思われた。 と、麗しき彼女はつかつかと空席──丁度俺の目の前だったが──に近づいてきて、大きく笑ったのだ。 「鬼道!あんたまだそんなけったいな頭してるわけ?」 「──…あぁ!やめだ、やめ!」 会議があと一時間早くおわればよかったとか、今日が月曜日だったらとか──たら、と、ればが付くと愚痴が出てしまうのは真実らしかった。事実、俺はさっきから何度も何度も頭の中で自分自身に愚痴を零している。月末金曜日の恐ろしき渋滞地獄に、俺の愛車はまったく進まない。即ち、俺は、あいつとの待ち合わせに間に合わない。いや、会議が長引いた時点で遅刻決定だったが……。 あの同窓会の後、二次会三次会と続くうちに、あいつが昔と全然変わらずに腹の立つ奴だということが判明した。見かけに惑わされてはいけない、とはこのことだ。 「…まだ飲み足り無い。」「止めておけ…明日も仕事なんだろう。」 「大人面するなし鬼道の癖して。」 「降りるか?」 車で来ていた俺は、なんの因果か、へべれけになったあいつを送るはめになった。助手席で脚を組んで、あいつは真っ暗な夜を窓越しに見つめていた。其の姿は、凄く絵になった。黙っていれば結婚の引く手数多だろうに。御愁傷様だ。 「……鬼道、」 「今度は何だ?」 「何でそんなに刺々しい言い方しか出来ないのかね……」 「お前こそ何でもっと女性らしく出来ないんだ、昔から。」 「……女性らしい子が好み?」 「はぁ…?」 信号待ちで車を止めたので、眉間に思いっきり皺を寄せてみょうじを見てやった。相変わらず窓を見つめたままで、表情は全く読めない。一体何を考えているのか、何がしたいのか、昔から全く読めない奴だった。俺はそれが知りたかった、それこそ全く良く分からない奴だった。 「私さぁ……」 信号が青に変わる。夜中でも、東京には車が多い。ゆっくりとアクセルを踏み出すと、愛車が滑らかに走りだす。みょうじの話だと、奴のマンションはすぐ其処だ。 「あの頃、鬼道のこと好きだったんだよ。」 「……ぇ?」 「ぁ、そこの角右ね。」 慌ててハンドルをきると、あいつはもう此処で善い、と車を止めさせた。俺は現状把握が全く出来ていないために、若干脈拍が乱れていたがあいつはそんなこと気付いてもいない風で。 「サンキュー、鬼道」 と誰も何も言わないのに勝手に手をヒラヒラ振って車を降りてしまった。 「ちょっと待て!お前、今の……」 「は?」 運転席の窓から顔を出すと、夜の空気は意外と湿っていた。みょうじは振り返ってニヤリと笑った。 「まさか…本気にしてんの?」 ……出た!と俺の中の電光掲示板に大きく文字が流れた。してやられた、まただ!あぁもう何度目だろう?決まっているじゃないか、あいつが俺を好きだなんてまさかそんなこと、空から豚が降ってこなきゃあり得っこない!畜生!!からかわれたんだ!いい大人が…見かけに惑わされたんだ! みょうじの笑い声が夜道に響き渡る。昔と変わらない快活な笑いだった。確か、俺はこいつの笑い声を聞くのが好きだった。違ったか?…こいつが笑っていてほしいと思ったことは無かったか? 「鬼道、あんた」 「……覚悟しておけよ?」 は?とあいつはもう一度言った。この鬼道有人様をバカにするとはな……!負けず嫌いな俺と冷静沈着な俺が心の中で格闘する。結果…… 「絶対、お前をものにしてみせるからな?」 大体、冷静沈着な俺が挑発に乗った時点で負けず嫌いな俺の勝利が決まったも同然だろうに──人は時々、運命に逆らいたくなるのだな、と 「──出来るもんならやってみ?」 あいつの不敵な笑みを見て情けなくなった。 それからの俺はそれこそ馬鹿みたいだった。あいつの誕生日にバラの花を百本贈り付けてみたり、コネで映画の試写会に連れていってやったり、こないだなんかは海が見たいというからわざわざ休みを取って車でドライブに行ってやった。 「──馬鹿だ、俺は。」 ようやく渋滞地獄から抜け出せて──最も、期待したような蜘蛛の糸ほどのラッキィは存在しなかったが──車を降りると、スーツの内ポケットを探る。手のひらに乗るほどの小さな小箱が入っていた。俺は今まで散々あいつにからかわれてきた。だから今日は俺があいつを思いっきりからかってやる番なんだ、OKか鬼道有人? あいつをものにしてみせると言った日から、随分経つ。今日は最高の一日になるはずだ。これで、不毛な試合も終了。ロスタイムは無し、だ。 俺は、これからみょうじにプロポーズするのだから。 「待ったか?」 「待ってないと思うの?」 「いや……言葉のあや、ってやつだ。」 「ふざけんな、謝れ。」 「……すみません。」 素直に謝罪すると、みょうじは満足したように微笑んだ。あぁ良かった。遅刻も、今日の会議の泥沼も、地獄の渋滞も、全部どうでも良くなった。こいつが俺にちゃんと笑うようになったのは、いつからだったか…。その時から、俺は既にこいつに捉われている!と主張する冷静沈着な鬼道クンを無視して、ワインを口にする。みょうじは頬に手を付いて窓の外を眺めている。相変わらず、喋らなければ絵になるフォルムだ。ふっ、と思わず笑みが零れた。 「──何?」 「何でもない。」 「何でもないのに笑うわけ?鬼道やっぱ変人。」 「そりゃどうも。」 今日の俺は無敵だ。 「……で?」 「ん?」 暫らくして、俺とあいつがフルコースを綺麗に平らげた後、コーヒーが並んだテーブル越しにみょうじが尋ねてきた。 「今日の鬼道の魂胆は何かなと。」 「その言い方は酷いな。」 「じゃ、目論み?」 ニアリィイコールだな、と笑ってやる。俺の目論みはお前をぎゃふんと言わせることだ!なんて宣言できるはずもないし、するはずもない。 「……鬼道、「手を出せ。」……は?」 「だから、手。」 「手って……」 コーヒーを持っていた右手を俺に差し出すから、違うと首を振る。右じゃダメだ、左なんだ。そう言うと、あいつにしては珍しく大人しく従った。某ホテルの最上階の高級レストランには、先程から恐ろしいほどゆったりとしたクラシックがかかっている。 よくよく見ると、みょうじの手は白くてほっそりして、綺麗な手だった。思わず見惚れてしまう。 「鬼道?」 不思議そうに俺を見る彼女の左の薬指に、そっと指輪をはめてやった。 「……鬼、道…」 「結婚しよう、なまえ」 驚いた顔をするあいつ。俺は凄く気味が良かった。今まで散々からかわれてきた。これぐらいのサプライズは許されても善いだろう…誰が許すかは知らないが。 みょうじは一度ふっ、と微笑んだ。今までに見たことが無いくらい、綺麗な笑顔だった。俺は一瞬、どぎまぎする。あぁダメだ。やっぱり、ダメなんだ。冷静沈着な鬼道クンが溜息を吐いた。どうかしているぞ、鬼道有人?プロポーズだなんて、そんなこと。そんなことであいつがぎゃふんと言う訳なんかないじゃないか! 「…ありがとう、鬼道。」 「!」 ───…何だ、結局俺が最後にはぎゃふんと言わされるんだ。みょうじは泣いていた。こいつが泣くなんて思ってもみなかった。というか、女性が泣くとおろおろしてしまう。例によって慌てていると、あいつがこう言った。 「──昔から、鬼道のこと好きだったんだよ?」 「な、」 それは俺をからかったんじゃなかったのか?あぁ…もう……俺はこいつに何時でもしてやられるんだから…。 「……あーぁ。」 俺の溜息と共に、なまえはもう一度笑った。その笑顔は凄く綺麗で、凄く幸せそうで。 ……結果、3対0ぐらいで試合終了。勿論、俺の負けだった訳だけれど。この笑顔が俺のものになるなら、それで十分だろうと、つられて笑った。 花嫁は二度笑う ++++++++ 大人な僕ら。様提出。 長い、長い、長い!笑 鬼道さん誰状態、すみません…… 素敵企画有難うございました! 101031 銀璽 |