※大人で同棲
※謙也は外働き、財前は宅働き


会社の同僚がよく家の話をする。一つ年下の、最近結婚したばかりの男だ。一人暮らしだった頃は電気の点いていない家に帰るのが少し憂鬱だったが、今は帰れば妻が温かいご飯を用意して待っていてくれるからそれが本当に嬉しい。と、身体中から幸せオーラを垂れ流して彼は話す。そんな同僚の言葉に耳を傾けながら、俺は危うく口を滑らせそうになった。俺も同じだ、と。けれど下手に詮索されては後々面倒なので、俺はただ笑ってそのノロケを聞き流すことにしていた。


「ただいま」


玄関の戸を開けると、部屋の中はいつも通りに明るかった。鼻をきかせると鼻腔をくすぐるのは美味しそうな匂い。空きっ腹には良く響く。この匂い、今日はシチューやな。


「あ、謙也くんおかえり」

「ただいまひかるー」


キッチンのガス台の前に立つエプロン姿の光に、たまらず後ろから抱きついた。肩越しに鍋を覗き込めば予想はみごと的中。光が手にしたお玉でクリーム色の鍋の中身をくるりと一掻きすると、ごろごろと見え隠れするのは色とりどりの野菜や鶏肉たち。覚えず口の中に唾が溜まった。


「ん、うまそう」

「うまそうやのうて、うまいんです」

「せやったせやった。俺の奥さんは料理上手やもんな!」

「…奥さんて」

「でへへ」


やっぱり俺の光がいっちゃんええわあ。なんて、ついでれっと顔に締まりがなくなる。光の背中にぐりぐりと頬擦りをすると彼は何も言わずに俺に手を伸ばして頭を軽く撫でてきた。加えて「お勤めご苦労さんです」と労いの言葉までかけられてしまったら、もうほっぺたはゆるっゆるに緩んで仕方がない。


「なんやご機嫌ですね」

「んー、そうでもないけどな」

「なんで。会社でなんかあったん?」

「うん。同僚がな、自分の嫁んことめっちゃ自慢してくんねん」

「どんなふうに?」

「えっとな、嫁の飯がうまいとか結婚は素晴らしいとか…」


日々聞かされている新婚生活のあれこれを指折り光に告げていく。ごみが溜まらない、洗濯物もちゃんと畳んでくれる、ただいまと言えばおかえりが帰ってくる、などその他もろもろ。俺が愚痴を吐く間にも光は着々とシチューを完成させていき、最後に味見をして満足気に一回頷くとカチンと火を切った。そうして、不意に俺にくるっと向き直る。光と真っ直ぐ目が合って、俺はその同僚の話をぴたりと止めた。


「謙也くん、おかえりなさいのちゅうしたる」

「えっ、なんでいきな」


り、と俺が言い切る前に、光は突然俺の両頬を挟んで唇を合わせてきた。くっついたとき、ふっと香ったのは先ほど光が味見したシチューの香り。啄むように甘く可愛いキスを何度もされて、もとより抵抗する理由も気もさらさらなかったわけではあるが、俺はすっかりその気にさせられてしまった。

空腹も疲れも忘れて、俺はひたすらおかえりなさいのチューにしては些かねちっこいキスに酔いしれた。目蓋は開けたままでいたので、色っぽく目を細める光の顔が間近でよく見える。俺の嫁さんのがよっぽど、いや一番美人やドアホ。ふと頭に浮かんだ幸せボケした同僚の顔にそんなことを思いながら光の腰に手を回した。すると光は優しく微笑んでさらに深く唇を重ねてくる。心臓がずくっと疼いた。

これ以上はやばいかもと思い、なけなしの理性を絞って光の肩を弱く押し返す。すると案外あっさり離れていった唇に少しもの寂しさを感じた。呼吸を小さく整えて光を見やると彼はふうわり穏やかに笑う。


「さっきの同僚の人の話、」

「うん?」

「その人の幸せと謙也さんの幸せは別もんでしょ。っちゅうか幸せなんてもん、比べて張り合おうとするもんやないと思いますけど」

「…俺、張り合おうとしとるように見えた?」

「はい」

「ほんまか…」


幸せは人と比べて張り合うものではない。それはもっともな話である。自分ではあまり意識していなかったけれど、どうやら俺は同僚の彼に対抗心を抱いていたようだった。俺だって幸せだ。俺が一番幸せだ。と、彼があんまり幸せそうな笑顔を見せるから、無意味にそう主張したかったのかもしれない。憧れて、妬んでいたのか。これじゃあまるでガキじゃないか。いい大人が恥ずかしい。

光に子供っぽい面を晒してしまったことに今さら気づいて、顔が一気に熱を持ち始めるのを感じた。しゅうしゅうと煮立ってるみたいに熱い。俯いて両手で顔を隠すと、光が前で笑った気配がした。


「ああー…あほくさ。恥ずかしい」

「謙也くんかわええ」

「…うっさい」

「まあええやんか、それでも。謙也くんは俺がおるから、誰よりも幸せ」

「…う、」

「俺も、謙也くんがおるから。誰よりも幸せな自信ありますよ」

「…うう、」


ね、と首を傾げる光に不覚にもドキドキした。未だに冷めない恥ずかしさと、俺を宥める光の優しさとで体はもう沸騰寸前である。そんなどうしようもない気持ちを誤魔化そうと無言で夕食の支度をはじめると、また背後で光の笑い声がした。

家に帰れば光がおって、おかえりが返ってきて、あったかいご飯があって、一緒にいただきますが言えて。食卓でそれらを改めて深く思いながらシチューをすすれば、あたたかさが食道を通り胸いっぱいにじんわり広がった。

光が言うように、たしかに俺は誰よりも幸せ者だ。




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