「もう死にそう」


昼休憩の後の五時限目の頃、眠気と格闘しつつも黒板に書かれた英文を板書していると財前からそんな不吉なメールが届いた。ちらりと壁時計を見ればもうあと20分もすれば授業も終わるという時間だったので、とりあえず俺は返事をしないままに携帯を閉じた。

死にそうって、大袈裟やなあ。っちゅうか授業中にメールすんなっていつも言い聞かせとんのにまったくあいつは。

そんなふうに、自分で自分にお前はおかんかとつっこみたくなるようなことをぼんやりと考えながら、特別心配するわけでもなく板書を続けた。財前からのメールはいつだって突然で、いつだってすぐには意図の解釈ができないような内容なのである。今回もどうせその類いだろう。

授業終了のチャイムと共に俺は教室を出て財前のクラスへ向かった。けれど、そこに財前の姿は見当たらない。近くにいたテニス部の二年を捕まえて聞けば、部室にいるだろうとのことなので、仕方なく階段を二階分も下りて部室へと駆けた。


「ざいぜーん、おるかー」


勢いよく戸を開け声を上げると、部室の隅に膝をかかえて座る財前を見つけた。ヘッドホンを被り頭を俯けているので顔は見えないが、どうやら死にそうというのはまんざら嘘でもなかったらしい。慌てて財前に駆け寄り肩を数回叩くと、少しだけ顔を上げた財前は睨むような上目遣いで俺を見た。


「ちょ、えっ、大丈夫か?」

「せやから、死にそうやってば…」


マスクで覆った口をもごつかせぼそぼそと喋る財前の隣に腰を下ろした。折れ曲がった背をさすってやると、財前はズズッと鼻をすすり苦しそうな呼吸をした。


「風邪か?」

「ちゃいます、花粉症」

「ああ、ひどいもんなお前」

「昼前に体育やってからどうにもしんどくって…」


横でずびずび鼻を鳴らす財前は確かに鼻声で、目は潤いたっぷりに揺らいでいた。頬も仄かに赤い。熱でもあるんじゃないかと思ったが、額に触れてみても相変わらずの冷たい肌のままだった。どうやら大丈夫みたいだ。

あのメールは授業中に来たにしても、いつもの読み取りづらいものではなく、ごくごくストレートなSOSサインだったようだ。こんなに苦しげな財前を見ていると、すぐに飛んでこれなかったことが少しばかり悔やまれた。若干申し訳ない気持ちになって財前の頭を優しく撫でてやると、彼は安心したように目を閉じた。同時に、それまで眉間に寄っていた皺もすうっと消える。


「すんません、授業あんのに呼び出して」

「俺も、すぐに来てやらんくてごめんなあ」

「いえ。来おへんかもと思っとったから、来てくれただけで十分っすわ」


ピンクの頬を指の背で撫でるとその手に擦り寄るような仕草を見せた財前。そんな彼に、だいぶ弱っているのだなと改めて実感させられた。精神的にも身体的にも、苦しいとき、辛いときに誰かに傍にいてもらいたいと思うのは当たり前のことだ。それが隣にいて気兼ねなく寄り掛かれるような、例えば恋人のような、そんな人であればなおさら、体温を求める気持ちは大きくなるのだと思う。


「頭、痛い」

「鼻水すすりすぎなんとちゃう?」

「かむと鼻の下痛なるもん…」

「ちょっと寝たらええやん」

「んむ、そうする」


いつも生意気で俺を小馬鹿にした態度ばかりとる財前にしては、可愛らしくも素直にこくんと頷く。そうすると財前は、今度は頬を触っていた俺の手を捕まえて不意に指を絡めてきた。きゅっと俺と財前の間で繋がれた手。額は妙に冷えていたのに手はじんわりとあたたかい。


「俺が起きるまで、逃げへんように」

「はいはい」


財前の手があったかいのと、俺の手もなかなかに熱いのとで、繋いだ手はそれはもうぽかぽかとあたたかい。絡んだ指の付け根までもがしっとりと汗ばんで、けれども嫌ではなかった。財前の細い指全部を強めに掴めば、財前もきつく俺の指に絡んだ。ふと横を見やるとたてた膝に頬をもたげた財前と目が合う。


「けんやさあん」

「なんや、そない甘えた声出しおって」

「…けんやさんの手、あったかい」


マスクのせいで口元は見えなかったけれど、目を柔らかく細めて笑った財前に不覚にもドキッと心臓が波打った。とろりと蕩けそうな甘い微笑みに俺は「お、おん」なんて、緊張丸出しの返事しかできなかった。

すぐには無理だったけど、やっぱり来てみて良かった。なぜならば、こんなに可愛く笑う財前は大変貴重だからである。


「ずっとここにおるから、な」


優しく囁くと財前は目蓋をゆっくりおろした。ずいぶん苦しかったのだろう。それからすぐにすうっと寝息をたてはじめた彼の肩に小さく寄り掛かり、俺も目を閉じた。

結局、部活がはじまるまで寝こけていた俺と財前が一番に部室に来た白石に見つかって怒られるのは、それから約二時間後のことだった。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -