※高校生財前と中学教師謙也



「卒業するまでどうしょうもなく好きやったら考えてくれはるって、あんた言いましたよね」

「…言った」

「まだ俺は、あんたがどうしょうもなく好きです」



掠れた声でそう言って、必死に俺の腕にすがってきた光を突き放すことなんてできなかった。ぶるぶる震える肩に、自然と手が伸びてしまった。なぜなら俺だって、もうとっくに深みに嵌まっていたのだから。

あのとき、光の体を抱き寄せて受け止めてしまったのは間違いだったんじゃないかと、今でも考えてしまうことはある。俺といない未来の方があいつにとっては明るいんじゃないかなんて、堪らない不安に苛むことだってある。けれど当時はそんな気を回す余裕もないくらいただただ手放したくなくて、繋ぎ止めておきたくて。結局必死だったのは光だけではなかったんだと思う。









裸足と花束





何だか寒いと思って目を開けると体が半分ほど布団からはみ出ていた。少し視線を上向けるとカーテンの隙間から薄明らんだ群青の空が見える。今何時だろう、とふと思うと外から新聞配達のバイクの音が聞こえた。なんだ、まだ5時か。

体を縮めて布団の中にすっぽり潜り込み寝返りをうつと、目の前には長い睫毛と鼻先。案外近くてびっくりしたので、思わず顔を引いた。細い寝息が微かに口周りにかかってくるのが擽ったいが、あまりごそごそと動いて起こしてしまっては可哀想だ。そう思い、擽ったいのをじっと我慢しながら、ぼんやりと霞む視界に映る光の顔を見つめた。



(…大きなったな、ほんま)



出会った当初、俺は新任の教師で光はまだ中学一年生だった。それが今では高校まで卒業してしまった。月日が過ぎるのは早いなあなんて、年寄り臭いことを思ってしまうのも仕方がない。光を受け入れた日からは昨日でもう三年もの月日が経った。けれど、付き合いを始めたその日のことがあまりにも鮮明に記憶に残っているため、まだつい最近のことのようにも思う。

とろとろと微睡みの縁にいながら、随分と長い時間光の顔を眺め続けた。ほとんど傷みのない黒髪も、滑らかな肌も、伏せられた密度の濃い睫毛も、そのあどけない寝顔は年相応の瑞々しさがある。本来ならこの若さは、同世代の子同士の関わりの中でこそ輝きを見せるものだ。俺みたいな、もうおじさんと呼ばれても可笑しくないような歳の男にふさわしい代物ではない。頭ではいつだってわかっている。寧ろ嫌でもわからなければならない。でも、俺は理屈じゃ自分を制御しきれない、駄目な大人だから。



「、ひかる」



もの寂しさからぽろりと、小さく名前が口から溢れる。ちゃんと音になりきっていないような言葉だったにも関わらず、ぴくりと目蓋を震わせた目の前の光は、糸のようにうっすらと目を開いて朧気に俺を見た。そうして数回瞬きをすると、口元に緩うく弧を作る。



「おはよう、けんやさん」

「おはよ…すまんな、起こして」

「んや、だいじょうぶっすわ」



おお、なんと。ふにゃふにゃと、こんな風に気分良さげに笑う光は大変レアだ。いつもはもっと可愛げのない(そんでも俺にとっちゃ十分可愛えんやけど)むっつりとした顔でいることが多いのに。寝起きだからか、と少し目を丸くしていると、もぞりと布団の中で光が身を捻り俺の腹に腕を回してきた。剥き出しの肌と肌が擦れてちょっとだけこそばゆい。身を引く俺を逃がさないように、光は体をこちらに寄せてきては何の前触れもなく俺の唇に唇をあてがった。子供がするみたいな幼くて可愛らしいキスは、なんだか甘い風味がした。



「おはようの、きす」

「ん、どうも」

「もっとしときます?」

「ふ、いや、遠慮しときます」



ちらりとカーテンの隙間から覗くと空がうっすらと明らんできていた。光とこのままじゃれているのも魅力的だけれど、あいにく俺は今日も仕事だ。もうそろそろ着替えんと、と苦笑し、さらに迫り来る光の唇を手のひらで押し返す。するとつまらなさそうに眉尻を下げた光はちろりと舌を出した。塞いでいた手のひらに冷たい感触がして思わず悲鳴を上げると愉快そうな笑い声が聞こえたので、お返しとばかりに光の額を一つ叩いてやった。



「なにすんねん」

「それ、こっちのセリフや」

「だって謙也さんがきすしてくんない」

「今はあかん」

「おはようのきすは基本ですよ」

「なんのや」



そう呟いて笑うと光も笑った。その笑顔を見て、ふと思う。いつからだろう、光が笑顔までにも大人を匂わせるようになってしまったのは。前はもっと子供っぽく可愛く笑っていたのに。今のはそんな無邪気なだけのものではない。目を惹く色気というか、そんなものが隠れた大人っぽい笑い顔。それは光が大人に、俺に近づいてきたという証拠かもしれない。まだ子供だ子供だと思っていたけれど、思えばこの6年で光もずいぶん成長した。傍で見ていて、そのことは日々如実に感じていた。例えばさきほどの笑顔もそうだが、体つきだってうんと逞しくなったし、ふとしたときに見せる仕草や表情にも彼の変化は垣間見れた。それが嬉しくもあれば、正直寂しくもある。

しんみりとした感傷は胸のうちに隠したまま、光の腕からすり抜けて上半身を起こし、俺はベッドから立ち上がろうとした。瞬間、急に背後からにゅっと光の腕が伸びてきて俺の腰に巻き付いてきたので、せっかく抜け出たのに再び捕まってしまう。ぎゅうぎゅうに抱きつかれて簡単には振り払えず、仕方なくその場に座り直して腹に回る光の手を握った。



「やだ、行かんで」

「授業あるから無理やなあ」

「卒業祝い、どっか連れてってくださいよ」

「またそのうちな」

「…絶対行くつもりないやろ」

「そんなことないわ。ほな約束しとこか」



こうやって、拗ねるところだけは年相応やな、と思わず苦笑を溢す。握っていた手の小指に小指を絡めて固く握り締めると、光も指に力を込めた。細くて、少し皮の厚い、マメのある光の指は特別綺麗なわけでもないが、触るといつも無性に口付けたくなる。フェロモンか何か、俺を惹きつけてやまないものがにじみ出ているのかもしれない。



「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます、ゆび切った」

「破ったらほんまに針千本飲ませますからね」

「お前が言うとマジでやりそうやな…」



約束ですよという、光の絡めた小指に唇を寄せる。そこに小さくキスをして、ついでに俺はベッドサイドの引き出しから金属の鍵を一つ取り出し、光の手のひらにあててしっかりと握らせた。



「卒業祝い。やる」

「…謙也さん、これ、」

「お前がずっと欲しがっとったもんやで」



光に渡したのはこの部屋の合鍵だった。学生のうちはまだ何があるかわからないから、高校を卒業したらちゃんと渡そうととずっと思っていた。それまでは光が欲しいと言ってもあげられなかった。光がまだ高校生だからということもあったが、それより何より俺は光の気持ちをあまり縛りたくなかった。今なら最悪引き返せるんだという、保険を少しでも残してやりたかった。

けれどもう高校生ではないのだし、俺からしたら光はもう立派な大人だ。自分で考えて行動することぐらいできるだろう。否、できなくてはならない。自らの望んだ道を選んで進まなければならない。たとえそれが俺への感情は間違いだったと思い立ち、俺を捨ててまた別の、もっと綺麗で輝かしい道を選び進むことになろうとも。本当はそれが一番怖いだなんて事実は、格好悪いし大人げないから見てみぬふりをするのだけど。

振り返り光を見下ろすと、彼は寝転んだまま俺と手の中の鍵を交互に見比べていた。そんな光のぺったりと落ち着いた黒髪を優しく撫でる。そうすると光は猫のように目を細め、俺の手に擦り寄った。年下の光を飼い慣らしてるようだと勘違いしたこともあるが、深みに嵌まって今まさに溺れかけているのは彼でなく、俺の方だ。俺はもう、多分一生こいつからは抜け出せない。だからもしこの先別れを切り出すとしたら、それは絶対に俺ではない。



「うれしいです」

「うん、俺もうれしい。卒業おめでとさん」

「、おおきに」



本当に嬉しそうにそう言って、柔らかくはにかんだ光。その顔がなんだか別人のように見えて、ふわりと一瞬涙腺が弛んだ。じわっと滲んだ涙の膜を誤魔化すように、俺は光の頭をぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫で回した。





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光が自分の手元からいつか巣立ってしまうんじゃないかって不安な謙也先生のお話。


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