※大人、同棲


半月ほど前、母から久しぶりに電話がきた。内容は元気でやっているのかとかちゃんと食べているのかとか、いつも聞かれるそれと変わらないようなことだった。二週間前、あの日は丁度夜中に謙也さんと一緒に近所のラーメン屋に行ったときだ。俺は謙也さんに何気なく「最近おかんから電話ありました」と言った。するとおばちゃん何て、と訊かれたのでその内容をかいつまんで説明した。



「こう、忘れた頃にふっとかけてくるんすよね」

「おばちゃん心配なんやろ。光は可愛え可愛え財前家の末っ子やから」

「…そういうもんすかねえ」

「…あ、せや。ほんなら挨拶行っとく?」

「え?」

「二人で挨拶、いっぺん行っとこか」



ズズッと背油たっぷりの豚骨ラーメンをすすりながら軽くそう言い出した謙也さんに、俺はびっくりして返す言葉に困ったのをよく覚えている。せやかて挨拶って、その言い方やと結婚考えとる男女が「私この人と結婚しようと思うの」とか「お嬢さんを僕にください」とか言うて両親に頭下げるアレみたいなあれやんか…。暫し固まる俺に気づいたのか、謙也さんは口の中で咀嚼していたラーメンをごくんと飲み下して慌てたように訂正した。



「ああ、あれやで?付き合っとる云々はともかく、一緒に暮らしとることくらい言わなあかんな、っちゅー…」

「ああー…まあ。そっすね」



れんげでスープを薄く掬って舐めるように口に流していた俺の隣で、箸を机上に揃えて置き「ごちそーさん」と手を合わせた謙也さんを横目に、まだ半分ほど残っていたラーメンを少し急ぎ目に完食した。昔であれば5分も待たせようものならまだ食い終わらんのかはよせえ、などとぐちぐち言われたものだが、今はそんなことはない。なんでもないような顔で適当な世間話やら仕事の話やらをふってくる謙也さんには、月日の流れを感じざるを得ない。

その晩、滅多にかけることのない自宅に電話をした。一緒に住んでいる人がいて紹介したい、という旨を伝えれば、電話口の母は少し驚いたように感嘆を漏らした。けれど特に深く突っ込んでくることもなく、再来週の日曜日なら都合がつくという返事をもらったので、その日に二人で行くと告げて電話を切った。

その日は謙也さんも俺も仕事がないのはわかっていたけれど、後々手帳を見てしまったと思った。再来週の日曜日、もとい今日の日付は3月の17日。謙也さんの誕生日である。















「はよざいます」



謙也さんの背後に忍び寄り抱きつきながらそう言うと、彼は一瞬肩をびくりと跳ねさせたのち、こちらを振り返ってにこりと笑う。肩越しに覗き込むとダイニングテーブルの上には湯気の上がるコーヒーと今朝の朝刊が広げられていた。



「おはよう光。コーヒー飲むか?」

「ん、欲しい」

「さっき淹れたばっかやから多分まだあったかいで」



ちょっと待ってな、と立ち上がった謙也さんの首からするりと腕を外す。パタパタスリッパを鳴らしてキッチンに向かう謙也さんを目で追いつつ、彼が座っていた席の前の椅子をひいて腰かけた。くあっと大きめの欠伸を一つ漏らしてふっと目線を移すと、真っ白な革張りのソファーの背凭れにかけられた黒いスーツに目が止まった。クリーニング屋の袋を被っているそれは、俺のではなく謙也さんのだ。



「え、なに、謙也さんスーツ着てくん?」

「え、あかん?」

「いや、あかんくはないけど…別にそこまで畏まらんでもええですよ?」

「いやいやいや」



ことり。俺の目下にコーヒーのマグカップを置いた謙也さんは苦笑して、俺の向かい側に座った。豆の芳しい香りが嗅覚をくすぐる。両手でカップを包み込むと冷たかった指先がびりびりと火傷したように熱くなった。



「言うたやろ、光は財前家の大事な末っ子なんやから。そんな子たぶらかしただけでも後ろめたいんやもん」

「たぶらかしたて、そんなんお互い様やろ」

「そうやけど……でも、格好くらいはつけな」



一応年上なんやし、と唇を尖らせて謙也さんが呟く。その顔はまるで拗ねた子供のようで、言動と仕草のちぐはぐさに思わず吹き出しそうになったのは謙也さんには内緒。右では頬杖をついて、左手では手元にあったマドラーで真っ黒な液面をくるくるかき混ぜながら口を開く。



「っちゅうか後ろめたいとかあったんすね」

「そらまあ、あるよ。光の親御さんはきっと、光に普通の幸せを望んどるやろうし」

「……謙也さんは、後悔してはりますか?」



伺うように上目遣いで謙也さんを覗く。何に、とは具体的には聞くに聞けなかったし、俺自身もはっきりと口では言い難かった。俺の親に後ろめたい思いをする結果になってしまったことか、それとも、こうして普通じゃない幸せを選んだことか。どちらにしても敢えて訊くようなことではないはずだと思ったからだ。

考えていて、少しだけ寂しく虚しくなった俺は再び目線を下げて徒にマドラーをコーヒーに突っ込んで弄んだ。すると突然前からふっと笑い声が聞こえて、見れば謙也さんは可笑しそうに、だけども幸せいっぱいに口元を緩めていた。



「まさか。光とおることが間違いとか、俺思ったことあらへんよ」

「う、わ……こっ恥ずかしい」

「え、なに、今俺寒いこと言うた?」

「寒い」

「え!」

「けど、嬉しい」

「え、…そ、そうか」



へへっと頬を掻く謙也さんに釣られて笑みを浮かべると、彼は照れたようにはにかんだ。あんな殺し文句言っておきながら全部無意識なんだから、本当に天然ものは質が悪いと思う。これだから結局俺は謙也さんにズブズブと嵌まっていくしかないのである。

カタリと椅子を引いて立ち上がり電話台へ歩み寄る。そこの引き出しの奥の方に忍ばせておいた四角い箱を見たのは、実に二週間ぶりのことだ。深緑の正方形の小箱に白いリボンのかかったそれを手に取り謙也さんの方を向くと、彼は目を丸くして首を傾げる。これからの謙也さんのリアクションを思うとうっかりにやけてしまいそうだ。



「謙也さん、どうせならもっと格好つけてみませんか」



そう言って笑うと、謙也さんは頭にはてなをいっぱい浮かべたような顔をしていた。そんなきょとん顔の彼の目の前に小さな箱を差し出す。



「お誕生日おめでとうございます」

「……あああ!今日俺誕生日やんか!」

「え、忘れとったんすか」

「おん。光ん家行くことばっかで頭パンパンやったから……」



これを渡してはじめておめでとうと言いたかったから昨晩は敢えて黙っていたのだが、まさか本人が気づいてなかっただなんて。まあ謙也さんらしいと言えばらしいけど。

謙也さんは心底びっくりした表情で俺からプレゼントを受けとる。見開かれた目からうっかり大きな瞳が零れ落ちてしまうんじゃないかなんて思いつつ、じっと手のひらの上の箱を見つめる謙也さんの様子を伺った。暫く固まっていた彼だが、次第に顔いっぱいをキラキラと輝かせてぱっと俺を見た。



「なあ、開けてみてもええ?」

「もちろん」



期待に満ちた表情でリボンに指をかけてシュルリとそれをほどいた謙也さんは、普段急いでばかりな彼からは連想もできないくらい、ひどくゆっくりと箱を開ける。深緑のそれが完全に口を開けた途端、謙也さんはいきなり立ち上がっては俺に勢い良く抱きついてきた。



「ひかるひかるひかるー!」

「なんですか」

「おおきに!ほんまおおきに!めっちゃ嬉しい幸せ!」

「そら良かった」

「…うおおお!なんやこれ、ぴったりやんか!」

「、当たり前ですやろ」



俺に抱きついたまま、贈り物である指輪を薬指にはめてかざして見せる謙也さんのはしゃぎっぷりから想起するのは犬だ。きっと謙也さんに尻尾がついていようものなら、今頃ちぎれんばかりに忙しなくぱたぱたと揺れていたのだろう。



「なあ、光、俺自惚れたこと言うてもええ?これって、もしや、」

「ああ、うん。婚約指輪みたいなもんっすわ」



ほら、と謙也さんに自分の薬指にはめたシルバーリングを見せる。なんの飾り気もないそれは謙也さんに贈ったものと全く同じデザインのもの。いわゆるペアリング。



「これ見たら両親も多少察してくれると思うんで、今日はずっとしとってください」

「……今日だけやのうて一生しとる、もう外さへん」



ぎゅうっと俺をキツく抱き締める謙也さんを同じように抱き締め返す。謙也さんが喜んでくれたらと、それだけを願っていたので彼の素直な反応が本当に嬉しい。あたたかな体から伝わるとくりとくりと少し早めの鼓動に目を閉じて、俺は祈った。

どうかこの喜びが、二人だけの幸せが続きますように。そしてそれを大切な人たちにも祝福されますように。



「ずっとずっと愛しとります、謙也さん」














Happy birthday Kenya!!
      by.kazuha