思えば俺は昔から一つのことに熱中してしまうと理性的な行動がとれない性分だった。夢中になるとそのことだけが頭に浮かんで他のことに集中できず、いつも失敗して周りに迷惑ばかりかけてきた。そんな俺が現在夢中になっているのは財前光という後輩。財前は男で俺も同じく男であるが、俺はどうしようもなく彼が好きで、恋をしていた。気がつけば財前にばかり目が行って、財前とのちょっとした会話で一喜一憂していた。

放課後の部活が終わると俺と財前はいつも一緒に帰っていた。今日も今日とて財前と帰るため、部日誌当番の彼が日誌を書き終えるまで部室で待っていた。



「すんません、待たせてしもて」

「…や、全然かまへんよ」



黙々と手を動かす財前をぼーっと眺め続けている俺の今の顔は、多分相当なアホ面なんじゃないだろうか。長い睫毛を伏せ、つややかな黒髪をさらりと顔に垂らしたその様子に目は釘付けだ。財前は本当に綺麗な顔立ちをしているからどれだけ見ていても飽きが来ない。美人は三日で飽きるなんて世間じゃ言われているが、そんなのは迷信だと断言できる。やってこんなに毎日毎日見とんのに、困ったことに飽きるどころか、好きっちゅー気持ちは募る一方やもん。

きゅっと一文字に引き結ばれた唇も、少しささくれた指先も、ピアスが光る耳も、財前を構成する全てがいとおしいものに見える。なんて、本人に言ったらどんな顔をするだろう。きっと得意のしかめっ面で「キモい」と言われて終わりだ、いろんな意味で。でも、叶うならもっと近くで見て、触って、感じてみたい。頭の中を支配するのはそんな邪な考えばっかりだ。ぐるぐるとエンドレスに回り続けて仕様がない。

ぐるぐる、ぐるぐるぐる。



「…財前」

「なんですか謙也さ…、」



名前を呼べば財前が顔を上げて、俺は身を乗り出していた。財前に触れたいと、その一心だったので思考はほとんどストップしていた。だから、このあとは本当に無意識下での行動。

俺は正面の財前にキスをしていた。ふにっと唇に唇を重ね合わせると、間近にある財前の目がいっぱいに見開かれた。その状態でどれくらいいたのかはわからないが、しばらくしてゆっくりと顔を離すとふわりふわりと夢心地にあった意識が一気に覚醒し、俺ははっと息を飲んだ。



「わっ、わ、おお俺っ、いま、」

「謙也、さん…?」

「っ、すすすまん!」



ガタッと椅子を引いて立ち上がり、俺は財前を置いて一目散に逃げ出した。部室を出て、正門をくぐり、そのまま必死に走って走って走って。自宅に帰って階段をも駆け上がり、部屋の扉を勢い良く開けてバタンッ、と音をたてて閉める。見慣れた自室に着いた瞬間、ようやく自分のしでかしたことの重大さに気づき、その場にへたり込んだ。

あかん、終いや。こんなんもう…あかんやろ。財前びっくりしとったし、逃げてきてもうたし。ほんま何してん俺。



「…うあああぁぁ…」



消えたい。消えてまいたい。好きも言わんまま、いきなりキスするとかあり得へんやろ。財前絶対気持ち悪いと思ったやろうし、絶対傷つけた。やってそうやん、財前は部活ん中じゃダブルス組んどる俺に一番なついとるって皆いつも言うし、そんな風に純粋に慕っとる相手に、しかも男にキスされたとか幻滅どころの騒ぎやない。あかん、これ絶対、嫌われた。…さようなら、俺の恋心。

床を這うようにして移動しベッドによじ登って、そのまま顔面を枕に押し付けた。制服も着替えんままやったらおかんに怒られるかも、まあええか。今はそれどころやない。そんなことより財前や。財前…財前…あああどないしよかなあああ。



(……学校、行きたない)



というか、財前と顔を合わせるのが怖い。俺がとった行動は最悪にもやり逃げだ。あのままあそこにとどまってなんとか弁明したならば、多少は事態も変わっていたかもしれない。けれどおれは逃げてきてしまった。財前が何を感じ、俺のことをどう思ったのかが全くわからないこの状況じゃ、どう接したらいいのか皆目見当がつかない。先ほどのことは全部なかったことにする?いや駄目だ、そんなの財前に失礼だし俺のポリシーに反する。それじゃあ正直に「好きで好きでしゃあなかったからつい」と本音を打ち明ける?いやいやいや、それはもっと駄目だ。金輪際口もきいてもらえなくなるかもしれない。財前は好き嫌いをはっきりと表にあらわす奴だから、きっとあからさまに避けられてしまうだろう。そうなったら当然ダブルスは解消、同じテニス部にいることすら危うくなりかねない。それに財前に冷たい目で見られるのは俺が堪えられないから、無理だ。

ほんまどないしたらええんやろ…。っちゅうか、そもそも好きになったのがあかんかったんや。俺は昔っからそうやった。一つのこと、特に一人の人に夢中になるとその人のことを思いすぎてしもていつもいつも空回り。挙げ句の果てには玉砕。過去の恋愛体験に関してはそんな苦い記憶しかあらへん。せやから財前だけは、財前にだけは嫌われへんようにしようって。ちゃんと迷惑かけへんように、ひっそりこっそり恋しようって決めとったのに。

あれこれと頭で考えるに連れて、不甲斐ない自分が情けなくて悔しくて腹立たしくて、終いには泣いていた。熱い目頭からじわじわと滲む涙は枕のカバーに染み込んで、さらに鼻水も涎もひっきりなしに出てくるから触れている箇所はすっかりグショグショに濡れてしまった。隣の部屋には翔太がいるだろうと思うと気が引けて、ひたすら声を押し殺して泣き続ける。そんな時だった。ふと、制服のポケットがブルブルと震えた。



「…だれやあ、こんなときに……」



突っ伏したままポケットに手を突っ込み、乱雑に携帯を引っ張り出す。開いてみるとメールが一通届いており、俺は目もとをごしごしと擦って視界をクリアにしてからそのメールを見てみた。瞬間、差出人のところに書かれた名前に無意識に目が見開かれるのがわかった。





――――――――
from:財前光
sub:(non title)
――――――――

出てきてください




――――――――



「……っ、え!」



まさかまさか、財前からだとは毛ほども思っていなかったものだから、驚きから涙や鼻水は引っ込んでしまった。出てきてって、そんなもしや。急いで起き上がり騒がしく窓辺に向かう。恐る恐るカーテンを開けて外を見やると、街頭の下に携帯を弄くる財前が。



「……な、なんで、おるんや」



じっと思わず財前を凝視していると、ふっと顔を上げた彼と目があった気がした。慌てて目を反らすも、心臓はばっくんばっくんと壊れんばかりに拍動を大きく、そして加速させていく。頭の毛穴から変な汗が一気に吹き出たような、異様な感覚に目が回りそうだった。

とりあえず、こんな真っ暗な寒空の下に待たせておくわけにはいかないと思い、俺は部屋を出て階段を一歩一歩、踏み外さないようにしっかりとした足取りで下りた。そうしてクロックスに足を入れ、怖々と玄関の戸を開けた。外の冷たい空気がひゅっと一瞬で俺の体温を奪っていく。思わず身震いをした。



「ざい、ぜん?」

「あ、きた」



控えめに名前を呼ぶと、俺に気づいた財前は凭れていた電柱から体を離して俺の方へ歩み寄ってきた。いつもと変わらぬ様子ですたすたと距離を詰めてくる財前に焦った俺は、バッと勢いよく両腕を前に尽きだした。



「あ、あかん!来たらあかん!」

「はあ?なんで」

「お、おれっ、また、財前になにするかわからへん!」

「これ以上なんかするつもりなんです?」



怪訝な表情で俺をじとりと見つめてきた財前に言葉が詰まる。今の言い方、やっぱりさっきのキス気持ち悪かったんや。嫌やったんや。まあ当たり前やんな、もし俺が財前やったらいきなりキスなんかされたら絶対気持ち悪いって思うもん。

まさしく蛇に睨まれた蛙のごとく、少し見上げるようにこちらを真っ直ぐ見てくる財前に、俺は腕を尽きだしたままの状態で固まっていた。心もとなくまた涙が出そうになったが、なけなしの自尊心がそれを許さず唇を噛み締めてぐっと堪えた。



「気持ち、悪かったよな、財前」

「…」

「っ、ほんま、すまんかった…」



さっき部屋で泣いたせいだろうか。絞り出した謝罪は、掠れてひどく情けないものだった。惨めな自分に自己嫌悪の波が押し寄せて、俺は顔を下に向けた。財前に何かを言われるかと思うと怖い。正直また逃げ出したい。だけど、どんな理由であれわざわざ財前の方から来てくれたのに、ここでまた逃げ出すわけにはいかない。これは罰だ。財前に嫌な思いをさせた俺は、しかるべき罰を受けるべきである。例えどれだけ罵倒されようと蔑まれようと、受け止めなければならない。



「謙也さん」

「っ、」



名前を呼ばれただけなのに、肩は大袈裟に跳ねて体にはピリリと緊張が走る。目を固く瞑って次に投げ掛けられる言葉に身構えた。



「……俺、謙也さんがノリとか雰囲気とかであないなことできるような人やないって、知ってます」

「…」

「せやから言いますけど、」

「おん…なんでも遠慮なく言ってくれや」

「ほな遠慮なく。……別に気持ち悪くなかったですよ」

「……へ、?」



想像してたのとは違う言葉に、思わず俯かせていた顔を上げた。正面にいた財前は俺と目が合うと、突っ張っていた俺の手のひらに自分のを重ね合わせ、指と指の間に指を通してぎゅっと握り込んできた。思いがけない財前の行動は俺の心拍をさらに急上昇させる。咄嗟に手を引きかけたが、財前はそれを拒んだ。



「わ、わ、わ」

「謙也さんのことそういう目では見たことあらへんけど、キスは気持ち悪いって思わんかった」

「え、ええ?」

「不思議ですよねえ」

「は、はあ…」

「、ちゃんと日本語喋ってくださいよ」



そう言って財前は可笑しそうにくすくす笑った。一方俺はというと、予期せぬ展開にこの上なくテンパっていて、笑われると恥ずかしさが募って体が熱くなった。なんで財前が楽しそうなのか。俺にはそっちの方が不思議でたまらない。

繋がれた財前の手を引くようにぎこちなく腕を畳むと、彼はすんなりとこちらに寄ってきた。胸にぴったりとつくように腕を折るとそれだけ財前も近くに来て、二人の距離はもう十数センチほどしかないだろうというところまで近づく。どきん、どきん、どきん。この不整脈が繋がった手から財前に伝わっていないか少し心配で、でも逆に伝わってればいいのにとも思った。



「…ほんまに?ほんまに気持ち悪ないん?」

「ないです」

「嫌いに、なった……?」

「なっとったら今来てませんて」

「よ、よかった…」



はあ、と深々とため息を吐き出すとほんのちょっとだけど気持ちが落ち着いた気がした。脈拍を整えるように鼻で深い呼吸を繰り返して、伏せていた睫毛を起こして財前を見た。今までに見てきたどの表情よりも、今の財前の表情は優しくて柔らかくて、とても綺麗だ。頭上の街頭に照らされ、夜の闇によく映えている。



「謙也さん、俺に言いたいことありますよね」

「うん…ある」

「言って」



黒々とした瞳におれだけを映されて、そんな力強い口調で言われたら逆らえるはずもなかった。顔はきっと真っ赤だし、年上としての威厳は形無しだけど、もうこの際そんなことはどうだっていい。



「……おれ、な、」

「うん」

「ざいぜんが、すきや」

「、うん」



財前は嫌な顔をするわけでも拒絶をするわけでもなく、優しく目を細めてくれた。それがあんまりにも嬉しくて、たまらず財前を強く抱き締める。財前の少し華奢な肩に顔を埋めるとなんだか笑みが込み上げてきた。



「……気持ち悪いと思った?」

「せやから、ないって」



ふふっと笑い声が耳たぶを掠めて、俺もふふっと笑い返した。いつの間にか心音は、穏やかなものに変わっている。






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