元旦だというのに謙也さんちには謙也さん以外誰もいなくて、家の中は異様に静かだった。なんでも彼の両親と弟君は泊まりがけの里帰りをしているらしい。受験前だし面倒だったから一人家に残ったのだと、謙也さんは半纏を羽織った背を丸めて言った。



「ほんなら一人寂しく年越したんすか」

「いや、みんなが出かけてったんは今朝やで」

「ふうん。…なんか意外や」

「なんで?」

「おばあちゃんちとか謙也さん好きそうやのに」

「まあ好きやけど、行ってもさしてやることないしな」



炬燵に腕を突っ込んで肩をすくめる謙也さんは天板にぴとりと頬をくっつけてぼそぼそ喋るから、俺も謙也さんの真似をして体を丸めて顎を机上に乗せる。真正面から見えるのは謙也さんの頭のてっぺんのつむじのところ。前は少しプリンが目立っていたけれど、年末に染め直したのか生え際までちゃんとしたきんきらきんだった。でも三月に入ったら卒業式も受験もあるから黒染めするとか言っていた気がする。いっそ今から黒染めしてしまえばよかったのに、ブリーチ代が勿体無い。



「そういう光は、ええの」

「何がっすか」

「家族とおらんで、こないなとこで時間潰しとってええの」

「ええも何も、家にいても特に何もやることないし、きっと今と状況変わらへんし」



自宅にいたところでどうせ今のように炬燵で転がりながら正月の特番でも見ているか、若しくは甥に遊べとせがまれてどうあしらうかと悩むかの二択だろう。とりあえず俺としては正月らしく何もせずにぐうたら過ごせたら場所なんて何処でも構わないのである。寧ろこうして謙也さんと何でもないような時間を満喫する方が何倍もいい。

本当のところ、時間があったので新年の挨拶をしにここへ来た、というのは実は建前で、元日くらいは謙也さんに勉強をサボらせて俺のこと構ってもらってもバチはあたらないんじゃないか、なんて。そんな期待を孕んだ本音を隠していたりする。最近じゃすっかり受験モードな謙也さんに気を使いメールのやりとりすらもまともにしていないので、コンタクトが丸っきり無い。結論を言えば、足らないのだ、謙也さんが。こんな恥ずかしいこと誰にも言えやしないから、思うだけなのだが。



「なあ光」

「なんすか」

「どっか、行く?」

「外寒いから、いい」

「せやんなあ。ほんならなんか、する?」

「例えば?」

「えー、ゲームとか」

「んん…」

「…なんか、なあんもしたくないよなあ」



まだやるもやらないも何も言ってないのに(特にしたいことがあったわけやないけど。)、そう言って会話を打ち切った謙也さんの足先が炬燵の中でもぞもぞ動く。こんなにだらだらと体たらくな謙也さんは珍しい。普段通りならば、休日は遊ばなければ意味がないと騒ぎ立てて無理矢理にでも俺を外に連れ出すのに。これが正月ボケってやつか、なんてふと思う。まあ多分正月ボケだけやのうて謙也さんの場合は勉強の疲れも溜まっとんのかもしらん。冬休み塾ばっかりやーって電話とかでもよお嘆いとったし。

うんと手を前に伸ばしてなんとなしに謙也さんの髪を触ってみる。頭を撫でるようにすると謙也さんは顔を起こさないまま「なんやの」と訊いてきた。その言葉に返事をしないで俺はキシキシの髪から手を離し、机上にあったみかんのかごから適当なのを一つ手に取った。



「謙也さん、謙也さん」

「なんやあ」

「みかん剥いて」

「そんくらい自分でせえ」

「爪長いから、黄色くなってまう」

「…ほんま手のかかる子おやな」



おばちゃんみたいなことをぶつぶつ呟いた謙也さんは伏せていた上半身をのそりと起こして俺の手からみかんを拐った。細長い指により皮を剥かれていくみかんを暫くぼんやりと眺めていると、不意に謙也さんが「なあ」とやけに間延びした声を発した。なんとまあ覇気も締まりもない声か。これはよほど疲れていると見た。



「外、静かやな」

「そうですね」

「なんか、俺ら以外誰もおらんくなったみたいや」



ぽつりとそう溢した謙也さんはふと窓の外に目を向けた。灰色の重たい雲に覆われた空には綺麗な青色が何処にも見当たらない。雪でも降りそうな天気だった。どうりでこんなに寒いわけだ、と思えば急に背筋がゾワゾワと震えたので丸けていた背をさらに縮こませた。耳を澄ませてみるが、確かに謙也さんが言う通り外は静かすぎて何の音も聞こえてこない。謙也さんちの前は常に車通りの耐えない道路であるのに、元旦だからか走行車両のタイヤがコンクリートと擦れる音は一つもしなかった。



「ほれ、剥けたで」

「ええー半分?」

「剥いたったんやから半分くらい食わせろ」

「ええー」



ブーイングを飛ばしながらも渋々半分に割られてしまったみかんを受け取る。俺がみかんの白い線が嫌いなのを知っているからか、半分のそれは白い線が一つ残らず丁寧に削がれていた。そんな謙也さんの律儀さと優しさに免じてまあ半分でも許すか、と、我ながらなかなかの上から目線が少し笑える。ひとつみかんを裂いて口に放りこむ。噛み締めると薄皮が破れて中から酸味のある果汁が噴き出し、口内いっぱいにみかん味が広がる。味わうようにじっくりと咀嚼しつつ謙也さんを見やると、彼の手の中にはもうひとつもみかんが残っておらず、代わりに頬がハムスターみたいに膨らんでもごもごと動いていた。一気に全部食ったんか、あり得へん。



「ひはる、ひはる」

「喋るなら先に口ん中空にしてくださいよ」

「んむ…。光、光」

「はい、なんですか」

「くだらんもしも話、してもええか」



みかんをひとつひとつ裂いて口に入れながら頷くと、謙也さんはお椀のような形のみかんの脱け殻を指で弄っては目を伏せた。



「世界でこのまんま二人っきりになったら、どないする?」



特に深い意味はない質問なのだろう。ぼうっとした目で玩んでいるみかんの皮を見つめる謙也さんに、俺は小首を傾げた。

世界でこのまま二人きり、か。それは素敵かもしれない。誰にも邪魔されずに、世界中で息をするのは俺と謙也さんだけ。質問の内容はかなりロマンチックすぎるが、謙也さんは元々そういうくさいことを平気で言ってのけてしまえる質なので、長く付き合っている分多少なりとも耐性がついてしまった。前の俺なら「何言ってんすか」とばっさり切り捨てて流していただろうに。こんなどうでもいい質問をまともに受け止めて、尚且つ答えを真剣に探してしまうのは、謙也さんのロマンチック思考が感染したせいだ。



「二人っきりっすか」

「おん、二人だけ」

「…そやなあ。とりあえずまあ、長生きしますかね」

「なんで?」

「謙也さん寂しんぼやから、一人残したら泣きはるやろ」



ちょっとしたからかいのつもりの回答だったのだけれど、俺の言葉に謙也さんはきょとっと目を丸めてしまった。あれ、謙也さんのことやから「泣いたりなんかせえへんわ!」とか反論してくるかと思ったのに。想像しとった反応とちゃうやんけ。

最後の一粒となったみかんを歯で磨り潰している間、こちらを穴があくほど凝視してくる謙也さんの目をひたすらじっと見つめ返す。その状態のままちょっとすると、不意に口元に緩い弧を描いた謙也さんは堰を切ったように顔をくしゃくしゃに歪めて笑顔を作った。そうして血色の良いほっぺたがとろけそうなくらい満足気に、幸せそうに、ふふふと声を出して笑う。



「ほなら俺はもーっと長生きせなあかんな」

「なんでですか」

「光、俺よりも寂しんぼやから」

「んなことあらへんわ」

「んなことあるわ。今日かてそうやん」



にやにやといやらしく笑う謙也さんに図星を突かれ、ついつい眉間に皺が寄る。なんで気づいとんねんアホ、っちゅうか気づいても普通そんなん本人に言わんやろ。変な気は遣えるくせしてこういうとこ、ほんまデリカシーに欠けるというかなんというか。



「はあ?自惚れんといてくださいよ」

「お、なんや図星か?」

「うっざ。謙也さんが寂しがっとると思って来たったのに」

「あはは、せやなあ。寂しかったよ」

「…ほら」

「おん。やからめっちゃ嬉しかったんよ、光が来たとき」



柔らかく細められる目に映るのは、子供みたいに意地を張る俺の不貞腐れた顔だけ。謙也さんはずるい。俺はいつも素直になれなくて可愛くないことばかり言ってしまうけれど、謙也さんはそんな俺の気持ちを汲み取るかのように素直な言葉を言ってのけてしまうから。どこまでも優しくて、ずるいと思う。

俺は炬燵から抜け出て這うように反対側に移動して、謙也さんの隣に無理矢理体を入れる。何も言わずに肩をぴったりとくっつけて横を見ると、謙也さんは俺の頭をくしゃくしゃと撫でて額に唇を寄せてきた。



「光って猫みたいやな」

「ふてぶてしくてすんませんね」

「ふてぶてしいとこも可愛いから好きやで」



そう言ってころころと笑う謙也さんの方が、俺なんかよりもうんと可愛いと思った。可愛いついでにほんのり朱色に染まった頬に指の腹でなぞるように触れてから、唇を吸うようなキスを二回ほどする。顔を離すと淡いピンクをしていた謙也さんの頬の色はさらに濃くなっており、俺と目が合うと照れたようにはにかんだ。やっぱり、どう考えても可愛いのは謙也さんの方だ。



「このまま夜までだらだらしよか」

「朝までは?」

「え、泊まってくれるのん?」

「一人、寂しいんやろ」

「うん、寂しい」

「しゃあないから付き合ったりますわあ」



やった、光大好き!なんてふざけたように言って抱きついてきた謙也さんを抱き止めつつ、先ほどよりもずっと軽くなった自身の心音を感じた。そんな今年の初めの日。










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