謙也が湯冷めしないようにと思って淹れた温かいお茶の入ったマグカップを、ソファーに腰かけている彼に手渡す。「おおきに」と柔らかく微笑んだ謙也の隣に座り、自分用に淹れたお茶をカップからずずっと啜った。熱い液体が喉を通り食道まで伝うのがありありとわかって、体の内側からじんわりと温かさが広がっていく。カップの縁から唇を離したとき、ほうっとため息が一つ出た。



「…ほんまはな、」



少しの沈黙の後で謙也が口を開いた。俺はカップをテーブルに置いて体ごと謙也の方に向く。両手で大事そうに包んだカップに視線を落としている謙也の声は、朝から聞いてきた明るく弾むそれとはどこか違ったものに聞こえた。俺が全てを知ってしまったことに対する後ろめたさがそうさせているのだろうか。



「ちゃんと話さなあかんって、ずうっと思ってたんや。けど、この時代の白石と…お前とおるのが、楽しくてしゃあなくて」

「、うん」

「全部話したらこの楽しい時間がなくなってしまうかもって思たら、なんや言い出せへんくなってしもた」

「…そうか」

「ごめん、な。騙すようなことして」



そう呟いて弱々しい笑顔を見せた謙也にズキンと心臓が傷んだ。そりゃあ確かにびっくりした。未来からやってきただなんて、そんなの非現実的すぎる。実際、少し大人な謙也とこうして対面していても、夢心地にいるような気分であるのは事実だ。

でも、違う。決して謙也が謝ることではない。騙されていたつもりなんて、俺には全くない。



「…何で謝るん」

「…せやかて、おれ、」

「謙也、俺な。ほんまは気づいとったんやと思う」

「……え?」

「心のどっかで、この謙也は俺の知っとる謙也とは違うって、ずっと思っとってん」



朝、一目見たときに本当は多分気がついていて、一緒にいるうちにも無意識に違和感は膨らんでいた。でも俺はそのことに頑なに目を背けていた。その理由は謙也と同じ。そのとき隣にいた謙也と一緒に過ごすのが楽しくて仕方がなかったからだ。

いつもいつも俺ばかりだった。俺ばかりが思っていて、それこそ馬鹿の一つ覚えみたいに毎日毎日好きだって心の中で唱え続けて。でも口にはできないから、当たり前だけど、その思いは全部謙也には届くことなく自分の中だけで惨めに消化されて行く。そんなことの繰り返し。わかっているつもりだったし、しょうがないって諦めているつもりでもいた。俺が意気地無しで情けないから駄目なんだってことくらい、重々承知の上だった。それでも、日々積み重なる愛しいという気持ちに果てなど存在しなかった。そのため飽きることなく一方的に思い続けるのは正直寂しかったし、しんどかった。切なかったし、どうしようもなくて。

そんなときに、謙也にあんな風に笑いかけてもらえたから。いろんな嬉しい言葉ももらえたから。今日一日謙也といて、一方通行なこの感情が少しずつ報われていく気がしていた。そんなことを思わせるような、自惚れかもしれないけれどささやかな愛情みたいなものが今隣にいる謙也からは感じられて幸せだった。

だから、謙也が別人だとかそんなことはあまり深く考えようとはしなかった。考えたくなかった、と言った方が正しいかもしれない。このまま今の謙也に恋をして、一緒にいれたらどんなに楽しいだろう…なんて。そんなことを考えていた俺は、なんて最低でくだらない男なんだ。



「わかっとって、それでもいつものお前やないお前とおりたくて、知らんふりしとったんや」

「白石……」

「……こんなん、ここの謙也にめっちゃ失礼な話やんなあ」



ぽつりとそう落とし、額を両手で抑えて背を丸めた。気を張っていないと今にも泣き出しそうだった。好きならなんで貫かなかったのか、なんで揺らいだのか。ああもう、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだ。

底抜けに明るくて優しくて、いつも真っ直ぐに笑いかけてくれる謙也がずっと好きだった。友情から恋情への移り変わりに抵抗などなく、ふとしたときに「ああ、好きやな」と、難なくその感情はすとんと胸に収まってしまった。例えこの恋心が俺からの一方通行でも構わない。ただ笑ってくれたら、隣にいてくれたらと、それだけを願ってきた。けれど、そう強く思いすぎたせいでいつしか俺は臆病になっていた。自分の気持ちを晒けだすことを怖いと思うようになっていた。そうして俺に向けられる謙也の笑顔にすらも、最近では胸が痛むばかりで仕方がなかった。

でもいくら慕情が不安定に傾いて、心細かったからと言って、俺がしたことは決して許されていいことじゃない。今回のことで俺は俺自身に、かつてないほどに失望した。自分に都合の良い謙也との時間を大切にしたいだなんて。もう好きでいる自信もなければ、好きでいる資格すらもない。

やはり蓋をするべきだ。はじめから叶わない恋だったのだ、これは。忘れよう。忘れなければいけない。好きでいていいはずがない。だから押し殺して、堪えなければ…



「しらいし、あかん」



不意に声がして、背中に何かが触れた。緩慢な動作で謙也を見れば彼はくしゃりと表情を歪め、真っ直ぐに俺を見つめていた。潤んだ瞳が震えている。その顔に胸がチクリと痛んだ。



「目を反らしたらあかん、逃げたらあかん…逃げんといてや」

「けん、や」

「蓋を外して、お願い」



片方の手をとられ、ぎゅっと握られる。謙也のもう片方の手は俺の背中を優しく優しく擦っている。本当は今、謙也を真っ直ぐ見つめ返すことがひどく辛かった。目を反らしてしまいたかった。しかし、懇願するような謙也の眼差しが俺を捕まえて離さないから。心の奥深くが鷲掴みされたみたいに、体の芯が奮えて止まないから。どうしても視線は外せない。核心をつくような謙也の言葉にドクドクと心臓が跳ね続ける。



「おれは、白石のこと嫌ったりなんかせえへんよ。いつでも」

「…、そんなん、わからへん」

「わかる。絶対大丈夫や。"おれ"を信じてあげて、白石」



謙也の言う俺、というのは、多分現代と未来をひっくるめての謙也自身のことなのだろう。何故未来の謙也がここまで必死に俺に訴えかけてくるのか、俺はふと疑問に思った。



「なんでお前は、そないに必死なん……?」

「……白石とおりたいからや」

「え?」

「この先ずうっと、白石と一緒におりたいからや」

「え、それって、どういう……」



言葉の途中で、急に謙也は俺の目を覆うように片手を目元に被せてきた。途端に暗くなった視界に声を止められる。するといきなりふわっと意識が浮き上がり、体がずしりと重たくなった。



「時間切れや、白石」

「っ、え、けんや…?」

「最後にええこと教えたる」

「ま、まって」

「おれはいつでも白石のこと、待ってんで」



急激な倦怠感と眠気に襲われて意識が遠退いていく。耳元で囁かれた言葉が鼓膜に響いて、脳髄を反響してぐるぐる回る。

思考回路はぷつりと途絶えた。



「……バイバイ、15歳の白石」





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:future



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