「嫁に欲しいわほんま…」

「ん?今なんか言うた?」

「あ、や、なんも」



現在、午後七時を少し過ぎた頃。俺はキッチンで夕飯を作ってくれている謙也をカウンター越しに眺めていた。今日はおかんもおらへんし夕飯はコンビニかな、なんて最初は考えていたのだが、帰宅するなり「晩ごはんは俺に作らせてや!」と主張する謙也のあまりの気合いの入れように首を横に振ることなどできず、結局作ってもらうことになってしまった。そこからはもう、勝手知ったるなんとやら。冷蔵庫にあった卵と冷凍ミックスベジタブルを見て瞬時に謙也は「オムライスにしよか」と提案してきたものだから、その気転の良さには度肝を抜かれたくらいだった。

慣れた手つきで具材と炊きたてのご飯をフライパンで炒めて味付けをし、それを器に盛り付けて次はライスを包むための卵を炒っていく。俺はというと料理はからきし駄目だったので、ガス台の前に立つ謙也をぼんやり見ながらスプーンや箸、サラダ(これも謙也がちゃちゃっと用意してくれた)などをテーブルに並べていった。



「うし、できた」

「…おおお」



得意気な表情でキッチンから出てきた謙也の両手には、半熟の卵で包まれたまさしくオムライスが乗っていた。テーブルにことりとそれを置き、食べよ、とにっこり微笑んだ謙也。胸がきゅんと鳴ったのには気づかないフリを決め込む。



「いただきます!」

「いただきます…それにしても凄いな、これ」

「そうか?こんなん覚えたら簡単やで」



いや、簡単とか絶対嘘やん。こんなうまそうなオムライスはじめて見たで俺。おかんのオムライスは卵焼きすぎて硬いけど、これめっちゃ絶妙な半熟加減やんか。ふわっふわやんか。ほんで期待裏切らんと、めっちゃうまいし。

うまい、と思わず呟くと謙也は嬉しそうにふにゃりと破顔させた。あかん、可愛え、ほんま嫁さんに欲しい。せっかくさっき恋心は絶対明かさんって決意したばっかやのに、こんなことするとかズルい。お前はどんだけ俺を苦しめたら気が済むんや。…なんて、思うだけ。思うだけ。

頭から余計なことを振り払うように、オムライスやらサラダやらを急いで口の中に掻き込んだ。途中少し噎せかけたのはなんとかお茶を飲んで誤魔化す。米の一粒もお皿に残すことなく完食して両手を合わせると、丁度同じタイミングで食べ終わった謙也も手を合わせていた。



「ごちそうさん。ほんまうまかったわ」

「お粗末さんです」

「また作ってな」

「ああ…おん。機会があったら、な」



なんとなく言葉尻を濁すように言って苦笑した謙也に俺は首を傾げた。なんか変なこと言うたか、と一瞬考えたが謙也はすぐにぱっと顔色を明るくさせて「片付けするな!」と食器を集め始めたので、俺は慌てて謙也の手を止める。



「あ、ええよええよ。俺やるし」

「え?」

「うまい飯食わしてもろたんやから、片付けくらいさせてや」

「…そうか?ほんならお言葉に甘えよかな」

「うん、そうして。あ、そういやさっき風呂沸かしたからもう入れるで」

「え、先入ってもええの?」

「どうぞ」



優しく笑いかけると謙也ははにかんで、でも少しだけ申し訳なさそうに、パタパタとスリッパを鳴らしてダイニングを出ていった。そんな謙也の背中を見送ってから片付けに取りかかった。洗剤と水で丁寧に洗って、最後にふきんでしっかり水気をとった食器を戸棚に仕舞い息を一つ吐く。食器も二人分だから手間ではないし、フライパンなどの器材は既に謙也が洗って片付けてくれたみたいだったのでそこまで時間はかからなかった。



(……あっ、)



不意に、風呂に行った謙也にバスタオルを渡し忘れたのに気がつく。烏の行水よろしく謙也の入浴時間はいつも短い。早くしないと出てしまう、と急いで部屋のタンスからバスタオルとフェイスタオルを引き抜いて脱衣場へと向かった。



「謙也あ、タオル置いとくからー」



脱衣場の戸をそろそろ開けるもまだ謙也は浴槽の中らしく、内心ほっとしながら声をかける。すると磨りガラスの扉の向こうからおおきに、と間延びした声が返ってきた。ふと足元に目を向けると脇には謙也が先ほどまで着ていた服たちがきちんと畳んで置いてあった。こういうところ、見た目に似合わずしっかりしているなあとついつい感心してしまう。頭は金髪でノリも軽いのに、意外とお坊ちゃんな彼の育ちの良さの表れなのだろう。無意識に頬が緩む。

と、脱衣場から出ていこうとしたその時、誤って謙也の衣服の山に俺の足が引っ掛かってしまった。一瞬で床に崩れた衣類に驚きながらも、直さなければとすぐにしゃがみ込んだ。床に散らばった下着やら何やらをかき集めている最中、つと手が触れたのは謙也の財布。



「……あれ、」



皮のそれを手に取ると、ぽとりと何かが落っこちた。白いカードのようなそれを広い上げる。途端に、心臓がどくりと大きく脈打った。



(なん、や、これ……)



見覚えのあるそのカードは、母親と父親の財布に常に入っているものだ。謙也の真面目ぶった顔写真の貼られたそれは、いわゆる運転免許証。中学生の俺たちであれば絶対に持ち得ないものだった。

瞬きすらも忘れ、俺はそれを凝視していた。自分の目がおかしくなったんじゃないかと思い目元をごしごし擦ったが、どうやら見間違いではないみたいだ。写真も、名前も、生年月日も、どれも俺が知ってる謙也の個人情報と一致してしまう。一番目に止まったのはその免許証の発行日。そこには四年後の、八月の日付が書かれていた。



「…白石?」

「っ、け、んや…?」



背後から出し抜けに声がして、覚えず肩がビクッと跳ねた。まるでブリキのおもちゃの関節のようにギシギシと軋む首をゆっくり回し、後ろを振り替える。そこには頭から足先までを濡らし腰にタオルだけを巻いた謙也が立っていた。



「…見て、しもたんやな」

「けんや…これって、」

「本物やで、ちゃんと。って言うても信じてもらえるかわからへんけど…」



困ったような、悲しいような、寂しいような。そんな感情がない混ぜになったような表情の謙也は苦々しそうに笑って俺を見下ろしている。俺はしゃがみ込んだままただただ謙也を見上げるばかり。

どくどくと大袈裟に血液が流れる血管という血管が熱を帯びはじめて、肺が重たく息がしづらい気がした。知っている。俺は、謙也がこれから言う言葉を、知っている。

本当はずっと、知っていた。



「俺な…未来から来てん」



朝から感じていた違和感が、胸にあったしこりが、しゅるしゅるほどけて消え失せ行く。それらは俺の涙腺を掠めて、瞬く間に霧散した。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -