ショッピングモールを一通り回り終えて外に出た頃には、もう日が半分ほど傾いていた。



「楽しかったなあ」

「せやな」



二人して買った物の詰まった袋をがさがさと鳴らし、駅までの道を並んで歩いた。最近は休日返上で部活ばかりしていたので久しぶりの外出は本当に楽しかった。それも謙也と一緒だから、楽しさも一入だ。なんちゃってデートを心行くまで満悦した俺の今の気持ちを言うならば幸せの一言に尽きる。手も繋いで歩けた。お揃いまで買った。まるで恋人同士じゃあないか。もしかして謙也も俺に気があるのでは、とか、そんな期待が少しもないわけではないけれど、今は思惟したところで仕方のない憶測を広げるよりも胸にぽっと火が灯ったような、この温かくて優しい気持ちをただ純粋に噛み締めていたかった。



「あ、白石」

「なんや」

「このあと、ちょお寄りたいとこあんねやけど」

「どこ?」

「がっこう」



学校?学校になんの用事やねん。そう訊くと謙也は苦笑して、部室に忘れ物したの思い出してん、と言った。少し不思議に思ったけれど、まだ暗くなるまで時間はあるし特に断る理由もなかったので、俺は謙也の申し出に従って学校を目指した。

目的地までの間、謙也はあまり言葉を発しなかった。それでも歩みは弾むように軽やかで、盗み見た横顔はどことなく嬉しそうだった。足を一歩一歩進める毎に色素の薄い髪がふわふわと跳ねる。辺りを真っ赤に染め上げる夕焼けに謙也のそれもキラキラと反射していて、とても綺麗。このままずっと見ていたい。と、思わずじっと見惚れていると俺の視線に気づいた謙也と目が合って、咄嗟に顔を背けた。どきどきと心臓が煩い。ずっと見とったん、バレてへんやろか。なんて焦りから慌てて話題を探す。



「そういえば部室に、なに忘れたん」

「え?えーっと…す、いとう、かな」

「水筒?」

「そう、水筒。昨日忘れて帰ったらな、おかんに臭なるやろって怒られてん」



照れたような困ったような、そんな顔で笑う謙也にふうんと返した。高々水筒忘れたくらいでとりに行くって、よっぽど怒られたんやろか。

少しして、通い慣れた学校に辿り着いた俺と謙也は正門をくぐって真っ直ぐに部室を目指した。休日の、それも夕方の学校は平日とは違って異様なまでに静かだった。部活動はどこもやっておらず、部室までの道の横に広がる運動場は閑散としていて寂しげに見える。それなのに、横を歩く謙也は心なしか目をキラキラと輝かせて物珍しそうに辺りを見回していた。



「なんか、はしゃいどる?」

「休みの日に学校来るのって、なんやドキドキせえへん?」

「ドキドキって、小学生か」

「やってあんまないやんか、私服で学校とか!悪いことしとるみたいや」



そう言って上機嫌ににかっと歯を見せた謙也は、不意に俺の手を取るとそのまま勢い良く駆け出した。突然のことに足が縺れそうになったがなんとか体勢を建て直し、ぐいぐい引っ張られるがままに足を動かさざるを得ない状況に戸惑う。



「ちょっ、謙也?」



名前を呼ぶも、謙也の足は止まることはない。彼は俺をちらりと振り替えって笑うとさらにスピードを上げた。なんだろう、今の笑顔、なんだか少し大人っぽく見えたのは俺の気のせいだろうか。子供みたいな無邪気で可愛いだけの笑顔じゃなくて、目を細めてふうわりとした笑み。柔らかくてほどけるようなその笑みを、謙也から見せられたのははじめてだ。胸の内側あたりに、うまく表現できないが何かしこりのようなものができたみたいな感覚。脳裏に一瞬靄がかかる。



「謙也っ、お前速い、」

「白石が遅いんやないの?」

「…言ってくれるやんか」



部室の前までほぼ全力疾走した、否、させられた俺は膝に手をついて少しあがった息を整えた。そんな俺とは対照的にけろっとした顔でにやにやと笑う謙也にむかついて、前髪から覗く額を指先で弾いてやった。天誅や。



「いっ!」

「あはは、赤なっとるわ」

「最悪や…」

「ほらほら、はよ取って来んと暗なってまうやん」



あまり力を入れたつもりはないが、うまいことクリーンヒットしたようだ。額を抑えて少し涙目で睨んでくる謙也にけらけらと笑いを返し、部室に入るよう促した。休みの日は毎日朝早くに用務員のおじさんが全部室の鍵を開け、暗くなった頃にまた全部室を施錠するのがうちの学校のきまりだ。まだ大丈夫だとは思うがそのうち見回りに用務員さんが来るだろう。別に悪いことは何もしていないが、今は私服姿だから下手に見つかって不審に思われるよりは早く退散してしまいたい。

部室に入っていく謙也に「待っとるから」と一言声をかけ、俺は建物の壁に背中を預けた。



「なんや、楽しい一日やったな…」



ついつい思ったことが独り言として溢れてしまい、口元がだらしなく緩んだ。何度も何度も頭の中で繰り広げた妄想が、意外な形で現実となってしまった今日。まだ恋人同士でもないのだけれど、街や電車で恋人たちを見る度に「もし謙也とデートできたら…」なんていつもいつも考えていた。そもそも謙也と二人きりで出掛けたことが、今までに何回あっただろうか。普段どこかに遊びに行くときは部活の他のメンバーが何人か一緒であったし、二人で行った所と言えば近所の公園かコンビニくらいしか思い浮かばない。

思いがけずに今日で一つ、夢が叶った。そう実感すると途端に嬉しい気持ちが体全体に広がって、ぽかぽかとあったかくなった。次の夢は謙也と付き合うことだけれど、それは当分、というか一生、叶いそうもない。こればっかりは途方もない願いだ。

今日のように、謙也との楽しい思い出が増える度に俺は謙也への告白から一歩、また一歩と退いてしまう。もし告白して謙也を傷つけたり幻滅させてしまったら、もし今の関係が壊れて一生口もきけなくなってしまったら。想像するだけで怖くなるのだ。そうして心では臆病だけがぐずぐずと大きく広がっていく。

なんて情けない男だろう。でも、謙也と笑い合えなくなるくらいならば、こんな気持ちなんか蓋をして封じ込めてしまった方が良いのだ。その方が俺にとっても謙也にとっても、良いに決まっている。



「白石」

「水筒、あったんか?」

「うん。付き合わせてすまんかったな」

「気にすんな。ほな、帰ろか」



部室から出てきた謙也に、一瞬躊躇ったが思いきって手を差し出してみた。するとぱっと表情を明るくさせた謙也はすぐにその手を握ってくれた。今はまだこれでいい。この先もずっと、これくらいの距離が一番いい。

そう思って繋いだ手を握り締めたと同時に、俺は密かに恋心の蓋にも大きな重石をそっと乗せた。