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不覚だった。もっと場所と時間を考えるべきだった。まさか泣いてるときに誰かが来るなんて、しかもそれが同じ部活の先輩だなんて思いもしなかった。

ただ何も喋らず、我慢しようともせず泣き続ける俺の隣から謙也さんは少しも動かなかった。こんな俺なんか放っておけばいいのに、本当は部活に行きたいはずなのに、この人はやっぱり優しすぎる。それはいつも感じていたことだった。自分の気持ちよりも他人の気持ちを尊重して汲み取って、損ばかりしてる馬鹿な人。それも偽善なんかじゃなくて、本心から自覚もなく優しさをばら撒くとんだお人好し。それが俺の中での忍足謙也という先輩だった。

だけどそんな謙也さんだから泣けたのかもしれない。ずっとずっと、心の中に溜めてきた重たいものがすうっと溶け消えていくような気分だ。



「ちょっとは落ち着いたか?」

「…すんません」



一応涙は引っ込んだものの、未だに垂れてくる鼻をずくずくと啜っていると謙也さんが苦笑しながらティッシュ箱を手渡してくれた。そこから2、3枚ティッシュペーパーを抜き取り盛大に鼻をかむ。「イケメンが台無しやなあ」なんて笑われたけれど、仕方がない。まだ見られたのが謙也さんで良かったと、熱のせいでぼうっとする頭で妥協する。



「人前でこんな泣いたの、はじめてです」

「ほんまやって。俺かてお前が泣いとるとこなんはじめて見たからびっくりしたわ」



けらけらと笑いながら俺の頭をぐしゃぐしゃに掻き回す謙也さんの手を避ける。基本的に誰かに触られるのはあまり好きではない。ボディタッチなどのスキンシップは不慣れで、落ち着かない。けれどつい先ほど、泣いていた時に優しく撫でていてくれた謙也さんの手には不思議と嫌悪感は感じなかった。

じっと横から謙也さんを見つめると、彼はきょとりと首を傾げた。…こんな話、しても大丈夫だろうか。自分の性分なんて語ったことがないからうまく話せないかもしれないけれど、今は無性に話を聞いて欲しい。謙也さんに、聞いて欲しい。そう思い、暫し躊躇しながらも口を開く。



「ほんまは泣けないんです、誰かがおると」

「え?」

「泣いたことなんかなかったんすわ。ずっと」

「…そうなん?」



問い掛けに一つ頷いて返すと、謙也さんは眉を潜めて真っ直ぐに俺を見つめかえしてきた。身を少し乗り出してちゃんと目を見て聞いてくれようとする謙也さんにちょっとした安心を覚えながら、言葉を繋げた。



「家族でもだめなんです」

「え、家族も?」

「はい」

「…それ、いつからなん?」

「どうやろ。…小学校上がったくらいからですかね」

「それはまた…難儀な小学生やったんやな」



本当に、可愛くないガキだったと自分でも思う。愛想もなければ泣きもしない。感情表現が乏しい俺が同級生に良く思われていなかったのは自覚していたし、周りの大人からもまるでロボットか人形みたいだなんて陰で言われていたのは知っていた。

泣けないことで一番心配されたのは、母方の祖父の葬式の時だ。生前の祖父には本当に良くしてもらっていて、家も近くにあったことから頻繁に会いにも行っていた。好きだった、大好きだった。それでも、祖父の死に顔を見たときに俺は泣けなかった。死ぬということがどういうことかわからなかったわけでも、理解できない年だったわけでもない。確かに悲しかったし、寂しかった。でも、年の近いいとこはわんわん泣いていたのに、俺はその場でどうしても泣けなかった。

家族は俺が祖父になついていたのは知っていたから、終始不安そうに俺の様子を見ていた。母は自分が涙しながらも何度も俺に「泣いてもいいのよ」と肩を抱いてくれ、父もずっと頭を撫でてくれていた。のに。やっと泣いたのは葬儀が終わった日の夜に、自分の部屋で一人になった時だった。本当は祖父の前で泣きたかったのにそれができなくて、ただ悲しくて悔しくて、そんな自分が嫌でさらに泣いた。

その時にわかった。我慢しているわけではないのに、泣きたいのに、自分は泣けないんだと。涙を他人の前で晒せないのだと。



「…大丈夫か?」



思い出に耽っていると不意に謙也さんが横から控えめに尋ねてきて、その表情がとても心配しているように見えた。そんなに思い詰めた顔してたんやろか、自分。ぼんやりとそう思う。



「…なんか、悲しいって思うと強迫観念というか、そんなんが押し寄せてくるみたいで」

「…」

「泣きたいのに、泣いたらあかんって、頭ん中でたくさん声がするんです」

「…そうなんか」

「…なんかすんません。こんな話、謙也さんには関係ありませんよね」



喋りすぎました。と告げて目を伏せ、立てた膝頭に視線を落とす。そうや、こんな話謙也さんに話してもしゃあないし、謙也さんにとったらどうでもええことや。何を勝手に話してたんやろ、よく考えたら俺ってばめっちゃ恥ずかしい奴や。

そんな風に思い後悔していた時、ふと腕に何かが触れた。ちらりとそこを見ると真横から骨張った手が伸びてきており、俺の肌に指先が小さく添えられている。ゆっくりと隣に顔を向ければ謙也さんが柔らかく目を細めていて。



「関係ないことあらへんよ。話してくれておおきに」

「謙也さ、」

「泣いてもええよ」

「…、」

「泣けるなら、泣いてもええよ、俺の前では。寧ろ泣いてくれ」

「な、んで」

「財前が一人きりで泣くの、なんか嫌なんやもん」



ほら、泣け。って、また頭を撫でるから。その手から伝わる体温の温かさとか、穏やかな声音だとか、俺にだけ向けられている息が詰まりそうな優しさとか、いろんなものが相まって目元がふわふわと緩む。いつもは泣きそうになると頭でガンガンと警報が鳴って否応なしに涙腺がきゅっときつく締められるのに、何故だか今はそんな制止もない。

ぼろっと溢れたのは大粒の涙と、胸の中でつっかえていた何か。



「なん、でこんな、泣けるん、やろ」

「俺と相性ええんちゃう?お前」

「…そんなん、いやっすわ」

「な、嫌ってなんやねん、嫌って」



不思議な感覚、今までに感じたことのない感覚に正直焦る。これまで泣けなかったのに、なんでよりによって謙也さんなんかの前では泣けるんだ自分。可笑しい。それでも、再三泣き出した俺に謙也さんは呆れるでも顔をしかめるでもなく、ただ隣にいてくれるだけ。たったそれだけのことなのにどうしようもなく安心しきってしまうのは、なんでだろう。熱があるから、頭が麻痺しているのかもしれない。

それでも、これ以上泣くわけにはいかない、と思い直し少ししてからぐしぐしと目元を擦ってなんとか涙を止めた。そうしてはあ、と深く深く息を吐き出す。まだ泣いてもええんやで、なんてにやにやと笑いながらひやかすように言ってくる謙也さんを一睨み。その時、はっと気づいて時計を見ればもうすっかり部活の時間は終わっており、外は日がとっぷり暮れていた。



「あー、もう真っ暗やん」

「すんません、部活…」

「んー、まあええよ1日くらい。その代わり、」

「?」

「お前も共犯なんやから。明日一緒に白石に謝ってもらうで」



歯を見せてにししと明るく笑う謙也さんを、心の中でお節介バカと小さく罵ったこと、彼はきっと気づきもしないのだろう。







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