酷く寝苦しい夜だった。

きちんと体は疲れを訴えていて、明日も授業も部活もあって疲れることが目に見えているから早く眠ってしまいたかった。けれど目蓋を下ろしてもちっとも睡魔は訪れてくれなくて、そればかりか目蓋はある程度重いのに頭だけはやけに冴えきっていて困ったことに意識はいつまでもはっきりとしたままであった。夜眠れない、なんてことは日常茶飯事であったのでいい加減慣れたことには慣れたが、それでもやっぱり苛ついて気持ちがもやもやとしてしまうものであり、そういう時に限って考えなくてもいいことばかりが頭に浮かんでくるので余計に鬱々とした気分になった。


脳裏で浮いては消し、浮いては消しを繰り返しているのは昼間の財前の言葉と眼差し。鋭いナイフのように俺を深く抉った言葉が未だに鼓膜にこびりついて離れてはくれなくて、その時に一緒に浴びた突き刺さるような視線を思うと心臓が粟立って止まなかった。



〈あんたは俺にないもんいっぱい持っとる〉

〈あんたが欲しいんです、謙也さん〉

〈絶対、諦めませんから〉



財前の冷たい唇が触れた手首には、そこだけの皮膚が浮くような、そんな変な感覚が残されている。眼差しも言葉も口付けも、何もかもが驚くほどに、そして可笑しいほどに真っ直ぐだったのだ。馬鹿らしいほどに一直線に俺を射止めにかかってきたのだ。じとっと俺を離さずに捉えていた黒々と深い瞳を見て感じたのは体の芯全体の震え。紛れもない、恐怖。

財前の言う通り、俺はあいつが怖い。怖くて堪らない。だから精一杯壁を作って嫌いだと遠ざけた。もちろん、財前がただの後輩でしかなかったときは怖いなんて微塵も思ったことはなかった。遠ざける必要もなかった。けれど、財前が糸も簡単に越えてはいけない一線を一歩踏み出してきた途端に、あいつは恐怖の対象となった。離れなければならない相手と見なさざるを得なかった。それほど、俺の中でのそのラインは重要なものであり、最もこだわらなければならないものだった。


だって、決めたのだ。
これだけは絶対だと、誓ったのだ。

人を愛することなどしない。
愛されたりも、しないと。



「…もう、無理だ」



声にならない呟きが夜のひんやりとした空気の中に溶けていった。動かした唇をきゅっと閉じて横に寝返りをうち、寝乱れたシーツに視線を落とす。そこでもう一度、声には出さず「無理だ」と口だけ動かした。

俺の中で恋愛とは最大のタブーであった。愛情なんて何も生まない、生まれるのはそれが過ぎ去った後にゆったりと訪れる虚無感のみだ。

人を好きになるのなんて所詮思い込みの一種でしかないと俺は思う。例えば誰かの容姿の一部や仕草やら言動やらにほんの少しの興味を抱いたり一瞬でもひかれたりしたら「こいつのこと好きかもしれない」なんていう錯覚に陥って、それを感じた後はもうその「好きかもしれない」はその人のことを見ていくうちに「好きだ」に変わってしまっている。でもその「好きだ」も、何回も何回も「好きかもしれない」を繰り返した後の自己暗示の延長線の先にあるものだから、結局は思い込みに他ならないんだと思う。だからこそそれが永く続くことなんてなく、結局その抱いた一時の愛情はいつの間にやら自らの中でゆるゆるとほどけて行き気づいた時には跡形もないくらいに消化されて飲み下されてしまっているのだ。

終わりが見えない。だから、怖いのだ。この感情はいつまで俺の中で生きていてくれるのだろう、とか、相手はいつまで俺と同じ気持ちを持っていてくれるのだろう、とか。そう考えただけで自分からそれを断ち切り粉々に砕いてしまいたくなる。壊してしまいたくなる。終わってしまう前に、何か行動を起こして記憶として脳に刻まれてしまう前に、

何もなかったことにすればいい。



「、ふ」



可笑しかった。馬鹿らしかった。
何が?当然、自分が。

つまらないことにこだわって過去のトラウマに縛られて。頭ごなしに、拒絶して拒絶して拒絶して拒絶して。少しでも気になってしまった相手はとことん避けて自分自身の中で殺して、ちょっとでもそういう目で見られているんじゃないかと思ったら女も男も関係なしに自分から突き放した。丁度、財前のように。

だってもう嫌なんだ、怖いんだ。思っても思っても届かない、報われない惨めな感情を抱えてくすぶるのは。


















〈好き、謙也くん〉



「……っ、」



鼓膜に張り付いて消えてくれない、言葉と声音。あの優しい眼差しも甘い気持ちも、全部忘れたくて堪らないのに。消えてくれと乞うこともできなければ、ただ忘れたいと願ってみてもそれは到底無理だった。触れた肌の感触や顔は多少薄れたにしても貰った数々の言葉や囁きはいつまでも俺の中で蔓延っている。それが酷く疎ましくて、思い返してしまう度に虚しくてどうしようもなく泣きたくなった。

消したいのに忘れることのできない思い出達も、いなくなって欲しいのにいつまで経っても薄れてくれない奴の存在も、遠ざけたいのに離れてくれない財前も、前に進まなくてはと思っているのに足踏みばかりしている自分も、みんなみんな恨めしいと思うことに一番腹がたった。





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