謙也さんに「嫌い」と言われたからって、別に日常生活に何かしらの変化が現れたわけでもなかった。謙也さんと俺は以前と変わらず部活の先輩後輩という位置付けで関わっていて、それ以上もそれ以下もなかった。相変わらずスピードスピード言ってる謙也さんに振り回されるダブルスも、部室での談笑も、部活中のおふざけも、何も前と変わりはない。ただし、変わりがないのは俺と謙也さん以外に誰かがいる時に限っての話であって、二人きりになると彼は途端に冷たく俺をあしらうようになるのだ。因みにこのようなことは以前はなかった。
「…うわ、」
俺しかいない部室に入ってきて開口一番にそう言ったのは謙也さんだった。今の時間はだいたい2時くらい、すなわち普通ならば未だ各クラスでは授業が行われているはずの時間である。俺は昼休みから部活までの時間をサボろうと決め込み、ウォークマンと携帯を持参して此処で音楽を聴きながらうとうと微睡んでいた最中であったけれど、どうやら今現在入り口のところで心底嫌そうな表情で俺を見ている彼も同じようなことを考えていたらしい。瞑っていた目を薄く開きちらりと謙也さんを見れば、彼は頭をがしがしと掻きため息を吐いていた。
「サボりっすか。余裕ですね」
「やかましいわ。万年サボり魔なお前に言われたない」
「此処、使います?」
「いい」
話すのも億劫だと言わんばかりの顔で俺に返答した謙也さんは部屋の戸のドアノブに手をかけ部室から出ていこうとする。俺はそんな彼の背中に「謙也さん」と呼びかけた。すると謙也さんは肩をひくりと小さく跳ねさせてから眉間に皺を寄せて此方を振り向いた。うわ、めっちゃめんどそう。
「なんや」
「俺、考えたんですわ」
「なにを」
「謙也さんに、今一番聞きたいこと」
「…答えへんぞ」
「なんや。こないだのこと、根に持っとるん?」
「俺な、最近ギブアンドテイクっちゅう言葉大事にしてんねん。してもろたら、その分だけ返す」
「なるほど」
「けどお前この前俺の質問に答えへんかったやろ?」
この前、というのは前に此処で謙也さんが俺にした"なんで俺が好きなのか"という問いに答えなかったときのことだろう。「せやから答えへん」なんてふて腐れて言う謙也さんを見てほんの少しだけケチ臭いなと思いながら、俺は立ち上がり彼の方へ歩み寄った。すると謙也さんは俺が前進する度にじりじりと後退していった。そんな謙也さんには構わず一歩、また一歩と行くと彼も同じように一歩一歩退いていく。けれどそんな無言のやりとりもついに終わりを告げた。後退し続けていた謙也さんの背が扉にトン、とぶつかったのだ。俺はというと、突然背中に当たった戸を気にする謙也さんに詰め寄ってそのまま両手を彼の顔の横についた。
扉と俺に挟まれて動けなくなった彼の目に浮かんでいたのは、はっきりとしたひどい動揺だった。見開かれた目は頼りなく揺らめいて、そこには先ほどまでの強気な姿勢とは逆の弱弱しいような雰囲気をまとった謙也さんが現れた。
そんな彼にふと覚えたのは、違和感。